眠れない時 NHKR1の『ラジオ深夜便』を聞いてたら オリンピック出場経験がある元選手でスポーツ心理学者の 田中ウルヴェ京さんという方が出演してて 自身の子どもの頃を振り返って
「物心ついた時から 『なぜ生きるのか』『死んだらどこへ行くのか』 というようなことをよく考えていたが こう考える子どもだと知られたら、親が心配するかもしれない、と思って黙っていた。文字が書けるようになってからは、ノートに書くようにしていた」と語っていて 「ワカル...!!!」 と思いました。
今一緒に暮す子どもたちも、自分の判断で親に黙ってることはあるだろうなと思っています。親に心配をかけたくない、もあるし 自分の言葉を否定されたり、笑われたりするかも知れない、怖れ・不信感も、あるかもしれません。
今も、体調のことなどを 実家の母には言うまい...と思うんです。通院してることも言わないです。
母は何でも「経験」に引き込んじゃうというか。健康でも育児でも。
以前、私の悩んでる話をしても「そういう歳ごろだからね」「私もそうだよ」「みんな同じだから」に、なってしまう。たいしたことないよ、と励ましているんだろうけど。
母自身が自己の安定のため 「うちの娘はだいじょうぶだ、おかしくない」 って自分に言い聞かせてるだけなんじゃないか、と思う。
「うちの家系はみんな持病がなくて丈夫に生まれついている。あなたも子どものころから、なに不自由なく育てられて元気だったから。具合が悪い理由はだいたい不摂生のせいだよ。運動してストレス解消すればよくなるよ。」という話をよくします。
私はそれを聞くたび 私も好きで調子が悪くなってるわけじゃないのに。と思ってしまいました。
「同じ」歳を経たから。 「同じ」子どもを産んだ母親どうしだから。
それでわかることなんてどれくらいあるだろうか。それって思い込みじゃないかな。「親子だからわかる」と過信しすぎてないか。
私はもう、特に息子のことなどは 「自分に出来ることはないんじゃないか」という思いしかないんだけど...。
例え子どもでも、モノゴトに対して全然違うとらえかたをする、別の人間なんだけど。
「みんな同じ」が、親から聴きたくない言葉のトップくらいになっています。同じ言葉でもまったく他人から言われるほうが、スッと入ってきそうです。
私と母の関係では、素直に聞けないことが、多すぎるんだなと思います。