心理カウンセリングの記録を基にしたエッセイ 『死ぬまで生きる日記』 を読みました。
私も たぶん著者の方と同じくらいの歳から、小学5年くらいから 「死にたい」 と思うことがありました。もっと軽めに 「家出したい」もよく思ったし 「ここにいてはいけない気がする、どこかへ行ってしまいたい」というのも。
自分の子どもが生まれてからも 親との関係(というか、実在の親以上に、一方的にイメージの親が自分の頭の中に居座り続けるような感覚)に悩むことが続き、数年間、現在も継続して、対面のカウンセリングへ通っています。色々な面で、気づき、支えられていると思います。
私は親に「面倒くさい頭のつくり。考えすぎ。もっと肩の力を抜けば」と言われて育ってきて。それを「お母さんの言われたとおりに、楽な生き方が出来ない。そのようになれない私はダメだ」と受け取ってきた。
けど、カウンセラーはそれを「感受性が強いんですね」 と言い換えてくれて、なるほど、と思った。「『あなたと親御さんは、タイプが違った。生きてる世界が違ったんだ』 ということです」と整理してくれたり。
「生きてる世界が違う」ことで言うと、著者がカウンセラーと一緒に 「死にたい」を言い換える言葉を探して、「帰りたい」に行き着いたこと。 「私は地球人ではなく別の星から来て、星へ送るレポートをずっと書いている」に、深く頷きました。他所の星から来た者だという気持ちを抱えている人は、案外多いのかもしれない。ひとりひとり遠い故郷がある。
好きな漫画で 『電波オデッセイ』 という作品があります。
ひとことで言えないような…すごい境遇にいて、引きこもっている女子中学生が主人公なんですけど。ある日「オデッセイ」というイマジナリーフレンドから 「君は、この星を去るとき、いいもの、おみやげを持って帰れる」 という話を聞き、「自分は異星からの旅行者だ」 という 「設定」 をかかえて、 「これが地球の、日本の中学校か~!」などと言いながら、破天荒な学校生活を再開し、生き抜いていくストーリーです。
地球は故郷になりえないが 「母星を住みよい場所にするものを、地球に探しに来ている」 という程度の、親しみと繋がり。 その「距離」のイメージが、ホッとすると思います。
絵を描くとき、文を書くときに感じている、「誰かのためではない。認められなくてもかまわない。さりとて100%自己満足かというと、そういうことでもない」…という、この微妙な狭間にある、動機。それは、遠い星へ向けた「レポート」であり「おみやげ」なんだ。という表現が、しっくりきますね…。(全然わからないわ、という方は、心が『地球生まれ』で、地面にしっかり足をつけて生きておられる方だろう…と思います)
カウンセリングを受けていない「あいだの」時間に考えたことや、身近な人と話したこと、カウンセラーに抱いた感情なども、克明に書かれていました。
なかなか、ハードルが高くて実際のカウンセリングに一歩踏み出せない、どんなことを話せばいいのかわからないし。という方に手にとっていただきたいです。「教える」ではなく、「一緒に考えていく」関係なんだ、と私は思ってます。