ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

震災のことなど。

今日で阪神淡路大震災から29年たちましたね。追悼の集いをニュースで観て当時のことを思いだしていました。

現在も、能登半島を中心に発生した北陸の地震で被災された方のことをずっと思っています。少額ですが日本赤十字社を通して寄付をお送りしました。

被災地で復旧や支援活動に携わられている方々の健康もお祈りしております。欲しいものリストでお送りした物資が、役立ててもらえたらと願っています。

todoke.jp

現地の話を伝え聞いていて、避難先として、寒い体育館やホールに雑魚寝をする日数をどうにかしてもっと短く出来ないものか、と思います。登録避難所にさまざまな理由で入る選択をせず、半壊の家や車中で寝泊りしている人が、孤立していても見逃されてしまうことが起きてしまったり。体調を崩し、命を落とした人もいらっしゃいます。普段から宿泊できる施設を、いざというときに提供するルールを作っておいて、迅速に温かい部屋、せめてふつうの布団で眠れるようになれないのだろうか? と思いました。災害そのものを生き延びられたのに、救えたはずの命が救えないことが苦しいです。いつまでも変わらない「避難者はこうだ」というスタイルを維持する意味はないんじゃないか。

1月1日の昼までは、私と北陸の人たちは、同じような日常も生きていたのに、ただそこで地震が発生したために「被災した人/してない人」に、突然属性が分かたれてしまったように感じます。それはいつでも私と替わる立場ですし、そうなった時に「こんなにつらい目に合うのか…ガマンすることになるのか」ということも、正直思ってしまいました。

個人が備えたり、耐えたり、お互い助け合いが出来るのは、素晴らしいことですが、出来ない人が取り残される・こぼれおちることも、必ず起きてくるのが非常時ですから。そんなときに頼れる「公」がない国、被災した人が身を削って避難所を運営しなきゃならないとか、ひとりひとりに負担を丸投げしていると言えないか…。不安ですし、不信感が募りました。

こんなに「ああ、自分でナントカするしかないんだな」という気持ちになることは、これまでの大地震の際にはなかったことでした。

 

個人的なできごととしては、娘の中学校の入学説明会が開かれました。

小中学校の入学準備、親として「2周目」は、無茶苦茶余裕がある。本人は色々不安があると思うけど、こちらは経験値が貯まっていると感じます。 物理的に用意するものも、同じ中学校に行くならおさがりが使えるのでグッと少ない。逆に言うと ひとりっ子や最初の子は親も何もわからないので、一緒に不安がって「◯◯しなければ!」と思ってしまい、子どもにプレッシャーをかけてしまって(うちは息子)には申し訳なかったなと思います…。

これから春に向けて、少しずつ準備の時です。

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