ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

復讐してくれよ、小四郎義時。

まずは 上総介殿に、献杯
 
『鎌倉殿の13人』 第15回は、序盤のターニングポイント。御家人たちの鎌倉殿=頼朝への叛逆計画から、上総広常の謀殺事件を中心とした大変な展開でした…(あらすじは省きます)

御家人も鎌倉殿も鎌倉にいるすべての人(政子や女性たちはちょっと立場違うかな)が共犯だけれど。
小四郎(主人公)、めちゃくちゃ自分が死なせた、と思ってるでしょう。そう身に刻まれてしまったでしょう…?

 

小四郎は上総介の死を、嘆くことを許されなかった。この謀に、本意は知らされずともガッツリ加担したのだから。遡れば、かつて彼を頼朝の元へ下るように説得したのも小四郎だったから。
己が頼朝の駒としての仕事を抜かりなく果たしたために、こうなった。それを目の前で、見せられることになった。

いちどは鎌倉殿である頼朝の追放を望み謀叛の兵を上げようとした大勢の御家人が集まる、その面前で。
あらかじめ上総介の刀を奪い、烏帽子を落とし頭頂を晒し、不意打ちによって 最大限の屈辱を与えながら殺すことができた。上総介の命と引きかえに、他の御家人咎められないことになった。見せしめとしての効果は抜群。御家人の再びの離反を防ぐことには大成功した。
もし小四郎が拒んでも 謀と粛清は別のルートで進んだだろう。小四郎が粛清される側になっていたかもしれない。
鎌倉が一枚岩となるため、あらたな謀反を呼ばないため、もっとも武力と求心力のある上総介を よってたかって生贄に差し出した。

それでも最期の瞬間に上総介は小四郎を責めていない、と思う。

景時に切りつけられた直後にはどうして…! という戸惑い、絶望感が表情にあったけど、名を呼ばれ駆け寄ろうとした小四郎に、頼朝が 「来ればお前『も』切り捨てる」 と明言したことで、謀ったのは頼朝自身であったことを知って。絶望したが、理解して微笑んで逝く。これは鎌倉殿の政治的判断だということを。自分の助命を願えば、小四郎も害されるということが、わかってから息絶えたと思う。小四郎が助かったことを喜ぶ、くらいの気持ちであった…と思いたいな…。

(演じられていた佐藤浩市さんは 「(小四郎に)『お前は俺みたいになるんじゃねえぞ』 と思った」 と仰られてて それもめちゃくちゃこみ上げるものがあります)

いつもの堂々とした坂東の雄の顔をはぎ取られたら、こんなにもこの人は「老人」だったのか…という、上総介の亡骸の、素顔だった。とても胸が苦しかった。

ラストの、鎧と共にあった鎌倉殿の武運長久の願文もそうだけれど、上総介が頼朝を認め慕っていたことは真心だった。
でも。上総介が信頼と親しみをこめて、頼朝に言った 「おまえのやりたいようにやれ」 が。
「俺たち御家人は使い捨ての駒だ」 という達観が。自分への謀殺となって、返ってくるとは思わなかっただろうに。
頼朝は上総介から発せられたこれらの言葉に これから自分が行おうとすることの、確信を得てしまったんじゃないかと思う。結果的に最後の一押しとなり計画を実行に移したのでは。頼朝も上総介を殺すことにギリギリまで迷いがあったんじゃないか。臆病な頼朝だから。そして誰にも殺す理由がない、殺したくない人だったから。
小四郎を使い謀反の計画に噛ませるよう働きかけるところから始まって、周到に、殺さねばならない筋書きをはりめぐらせなければならなかった。それでも最後の決めては、梶原景時の振る双六の賽の目に委ねられていた。

上総介を見殺しにしながら、一部始終に座したまま パタパタと涙を落とす小四郎の顔が、おそろしく美しかった。あの場面の引き裂かれるような思いから溢れる涙を 「美しい」 って感じちゃうのは、倒錯した感性かもしれないけど 素直に綺麗だったのです、もっとあんな顔を見たい、ずっと見ていたい…とおもわせられるくらいの。 「心が死んでいく」 音がする最高にきれいな顔だった。
いつも鎌倉で巻き起こる事件を丸くおさめたいと奔走し「今度はしくじらない、もっと上手くやる」と頑張ったのに。こんなことになって。
一度命を落とすほどの体験、強烈すぎる通過儀礼を味わった。
少年から青年への過渡期に出会った、まっすぐに憧れられる他人の大人、上総広常の死と、入れ替わるような我が子の誕生と共に、小四郎の青春時代が幕を下ろした。
これから彼を取り巻くのは、上総介のような、受け止めて肯定してくれる大人ではなく、理想を見せ、そこへ向かって進め、成長しろと、駆り立ててくる、賢くかつ「正しい」大人たちばかり。

復讐してくれよ、小四郎義時。

上総介の仇討ちじゃない。頼朝への憎悪でもない。

小豪族の次男として慎ましく家に仕える暮らしから引き摺り出し、強引に大人にさせ、見知らぬ「何か」へと作り替えようとする、この時代の波、世界とか、運命、そんなぜんぶに、
復讐してくれよ。

(※その傍らには三浦平六義村がいてください)

そのために 生き延びろ、駒でなくなれ、手段を選ぶな、誰も見たことがない頂点に立て。狡くて正しい大人たちを食らって取り込んで。
怒りも痛みも恨みもあるだろう、でもいっときの感情でなく周到に用意してやってくれ、頼朝以上に、もっと賢く狡く!! 最後まで付き合う、腹を括る!

皆さんが泣いた...つらい...と感情を吐露している中で 上総介殿の死に様を直視しても、涙のひとつも出なかった、自分に変な自信を持ってしまいました。
(それ、逆に傷が深いからじゃないか大丈夫か。最終回後に何か壊れたりしないか? とおもうけど先のことは知らん...たぶん大丈夫)

私は、義時サイドに立ってこの先の鎌倉殿の物語を観ていくだろう。というか、そうとしか観られなくさせられてしまった。…それもきっと作者の思う壺。
この先、どんなに手を汚そうと屍を積もうと 「義時の成すことは飲み込みます」 という気持ちで見てしまう、たぶん。マイルドな言い方すると「応援します。」。
決して「上総介殿ロスがつらいから、他に推しは作りません!」って意味じゃなくて(また出来ないとは言い切れない)それが私にとって適した鑑賞スタンスかなあと思います。

上総広常を喪った 第15回は、小四郎義時が私の中で重めに心を寄せられる 「主人公」 としてしっかりと立った記念日でした。

大泉さんの頼朝は、大ッッ好きですよ! 機を見る政治センスの天才ぶり、カリスマ性と、人間臭い、非を認めず弱さに向き合えないサイテ〜〜さとのギャップが良き…どんどん怖さ出して…。
この15回でさらに魅力が増しました。今後が楽しみです(色々な意味で)

長くなったので三浦義村さんの「おまえは頼朝に似てきた」と言う言葉についてはまた改めて…! 盟友、これからの心のささえだよ〜…!

 

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