毎年、この日に思うこと、心に浮かんだことはメモしておこうと思います。どう変化していってるのかが見えるので。
地震発生直後のブログ記事なんて まるで非日常に浮かれ騒ぐお祭のようなテンションで、あまりに不謹慎で。ひどいもんだ。他の年の3.11に書いたこともそれぞれに何か恥ずかしく感じます。
でもそういうのも 当時はそうして受け止めていたんだ ということで 捻じ曲げずお行儀よくならず、残しておこうと思います。
何度かブログに書いていますが 10年前の自分は 午後からメンタルクリニックに行っていて、地震発生時はその帰り道でした。
10年経って あの時母と心細く留守番していた息子が、今度はこころのお医者に通院することになったので 何か 『巡っている』 『まったく同じではないが、似たような課題を抱えて行きつ戻りつしてる』 と感じるこのごろです。
だいたいコロナのせいなんだけど、身の周りの状況が 「あの時と似てるな」 と感じることが多くなった。ほんとうに。何でなのかうまく言語化できない...。
直接の被災(感染)がなくても、世界の激しい変化によって、精神が削られてるところ、人との関係がうまくいかなくなってるところがあって、それが似ているのかな…
そしてそこに 「でも生きてるし、暮せてるし、当事者じゃないでしょ」 みたいな 罪悪感が乗っている。
というか大体の事件天災について 「なぜこんな投げやりな私が生きてて、もっと生きたかった人が死なねばならんのやろな...」と思ってる。
やるべきこと、お役目があって、生かされているのよ、と思えるときもあれば、そうでないときもあります。心の調子によって。
そんな10年目でした。