23日に『麒麟がくる』の総括的総集編が放送されました。これでテレビ放送は最後なのか~…と感慨深い…。公式サイト・twitterも3月末に終了だそうです。寂しい…
総集編のナレーションは帰蝶(信長の妻、十兵衛のいとこ)の視点で振り返っていて 主に信長と十兵衛の出会いと関係の深化、変化を軸にした編集でした。見どころが凝縮されていて素晴らしい編集だった~。開始早々本能寺の変から始まってビックリした…。
帰蝶のことばで
『十兵衛は全てを終わらせるため、本能寺へ向かったのです』
『信長様は、十兵衛のことを、どこかで待っていたのかもしれません』
と語られたときには…!!
「帰蝶様、わかるよ…私も同じ解釈だったよ!!」 と思っちゃった...
しつこく織田主従についてのことになっちゃうんですけど、改めて総集編で見直すと信長は美濃を支配した後のこと、ホントに何も考えてないですね…。
そこに十兵衛があの「大きな国を作るのです」 というビジョンを持ってきた時、信長は
「十兵衛と共に夢を見る」 のではなく 「十兵衛の夢を叶えてあげる」
という動機で動き始めちゃってる。それに気づくとあそこ、ニコニコしたやり取りなのに怖い。最初からすれ違ってたじゃないか!
大きな『国』と、大きな『世』。 ささやかな言い回しの違いににじむ、軋みの予兆。
十兵衛の思いは 天下の万民が安らいで暮らせる、秩序ある社会。
対して信長の望みは、母のような、父のような者 ー帰蝶と十兵衛ー がいてくれる、それだけでいい。そんな濃密なものに満たされた、子どもの夢のような世界だった。
最終回 饗応の後のシーン、十兵衛と2人の場で
「そなたがわしを変えたのじゃ!」「子どものころの様に、長く眠ってみたい」「すべて終わったら、ふたりで茶を飲んで暮さないか」 という 告白の言葉は
十兵衛から期待されてきた 「平らかな世を連れてくる王者」 としての役割に疲れてしまったよ、という内なる声の宣言に聞こえます。
さながら親のプレッシャーに燃え尽きてしまう子どものようです。嫌な相手からの要求ではない、いやむしろ大好きな人だからこそ、その願いはないがしろに出来ない、応えたい。でも、もう限界なんだと。
「もっともっと、喜ばれることをしないと。強い王でいないと。愛されない。この好きな人にそむかれてしまう。」
そんな怯えた心では、どんなに高みに上っても決して安らげることはないでしょう。
母のような者は帰蝶だったけれど、去ってしまった。信長の慕わしく失いたくないものは 十兵衛だけに集約されてしまった。十兵衛にだけは去られたくない、だから必死で、暴力を振るってでも 背を向けるなと叫んでいた。
信長の望む小さな満ち足りた世界は手に入らないどころか 遠ざかっていく未来しか見えなくなっていた。
この告白で十兵衛は、本当の信長をやっと見たのかも。
「ここまで信長様を追い詰めてしまっていた…」 という悔恨や、いわば信長をけしかけ、信長を使って自分が破壊してきたもの・殺めてきた命に対する贖罪の心にも、苛まれたのかもしれない。その罪を負い償うための本能寺の変。
先日の感想では「信長の『長く眠りたい』という望みを叶えるための、謀反だったのではないか」と書いたのですが、もうちょっと踏み込んで、考えてみました。
どっちにしろ、十兵衛は全力で信長の生に対して責任をとろうとしちゃったんですね…。愛していた、それは間違いなく。
お互いに見たいものを 相手に投影しあっていたんでしょうね。
信長は十兵衛に理想の父を。
十兵衛は信長に理想の王を。
2人の自然な姿を知る立場の帰蝶がいても、そうなってしまったのかぁ… すべて終わったらと言わず、3人でよく茶を飲んでいればw ああならなかったかもしれない、と思ったり…
理想を誰かに投影することは かくも人を縛って狂わせるのか、目の前の生身の人を見えなくさせるのか、と感じます。
思い当たることが 私の大したことない人生でも ありました。
信長と光秀の お互い夢を見すぎた関係はドラマを貫く太い柱なんですけど、違う登場人物(例えば 藤孝、秀吉、駒など)の視点での総集編だったらまたピックアップされる場面も違っていただろうなあ。
だから! そんなスピンオフ番外編、いつまでも待ってます…!
放送直後の公式twitterさんからの 粋なスペシャル画像投下と 最後のあいさつも心に染みました。
雑踏で振り返り、こちらに向かって微笑む十兵衛。
あれは駒に対してかもしれないけど 物語を見通して見届けた人に向けて、振り返って顔を見せてくれたのかな…ありがとう十兵衛……!
改めて素敵な作品を いま、この世に届けて下さった制作スタッフの皆様に ありがとうございましたと感謝の言葉を伝えたいです(NHKのフォームから送りました)。
これからも、思い出し次第感想をメモっていきます。