↑ このタイトルでシリーズ化したいと目論んでます。
昨年より毎週日曜日のレギュラー放送になったNHK-AMラジオ 『子ども科学電話相談』。この番組で回答者となった先生方の著書を少しずつ読んでいきたいなと。
2019年末の冬休みロングバージョンにて初めて出演されたのが 哲学者の野矢茂樹先生でした。
その日の質問と回答はこちらのまとめに(タイトルのインパクト...) ↓
野矢先生はEテレの番組「NHK高校講座『ロンリのちから』」の監修をなさっているのですね。その縁で電話相談にも出演されたのだと思います。
ロンリのちから: 「読み解く・伝える・議論する」論理と思考のレッスン (単行本)
- 作者:NHK『ロンリのちから』制作班
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2015/11/20
- メディア: 単行本
哲学というジャンルが子ども向けの『科学』を冠した番組で仲間に入れてもらえてる! という嬉しさもあり楽しく拝聴しました。お子さんの質問も先生の回答も興味深かったです。
学齢・性別を問わず「答えの出ないこと(少なくとも義務教育の領域においては)」に自分で気づいて問うているお子さんたちがたくさん電話で登場して、なんだ~こういう子、けっこういっぱいいるんじゃないか(私もそうだったけど、周囲には話し合う人がいなかったなあ)ということに 希望のようなものを持ちました。
今回、図書館で見つけて借りてきた野矢先生の本は2冊。どちらも楽しかったです。
エッセイ形式なのですが シンプルでどこか淋しげな挿し絵(?)がたくさん差し込まれており、それが本文とは(一見すると)関係のない、とても謎めいたストーリーを構成しています。
最後のイラスト、そこに添えられたことばを読んでハッ!として、もう一度最初からページをめくらずにはいられませんでした。
でも謎は全部とけたわけではないし、肝心の本文について語る言葉を私はまだあまり持っていません。 とても不思議な本でした。
その不思議さは手にとって味わってもらうほかないとして、とてもやさしい文章で「『考える』とは何か、を考える」本なのですが 具体的に著者が提案している方法を書き出してしまえば
- 「問いそのもの」を問う。
- 理論を上手に使う(理論とは結論でなく道具である。勘違いしがちだ)。
- 言葉を鍛える。
- 頭の外に出す(→言語化する。書いてみる)。
- 他者と話し合う。
- 詰め込んだあげく、いちど「からっぽ」にする。(いちばんむずかしい!)
考える、というのは何となく「うちにこもる」ような印象を抱かせる言葉ですが 哲学的に考えるとは 「自分を徹底的に『開いていく』」「外の世界とつながる」行為なんだなあと。
日本人にありがちな「内省」とは そもそもベクトルが違ってましたね...。
以前いろいろこねくり回していた時、それは「感情」についてのことなのですが
「あたまの中にモヤモヤしている状態ってそのままでは何でもなく、言葉にしたときに初めて、喜怒哀楽のどれかにあてはまった何かとして『生まれる』または『発見される』のではないか」と思った... という記事を書いたのですが
非常に親和性のある話を、哲学者の方の本からも聞くことができて嬉しかったです。
2冊目はこちら
より野矢先生の大学講師としての日常に沿ったエッセイ。読みながら「私は哲学者になれるかなあ、哲学科に適性あるかなあ…」と、ずっと考えてしまった。w
(当時)ゼミで行っていたという 宗教要素抜きの坐禅会は参加してみたいなあと思いました。
初めて講義を受けた新入生から投げかけられた「哲学を学んで何の意味があるんですか?」に対して(いろいろ考えた後に)出した回答は「哲学とは『実技』科目である」ということばに深くうなづきました。
他の勉学の際にも踏ん張りが効く、こころとアタマの基礎体力をつける、筋トレのように感じました。
毎日コツコツ続けて思考を深めていく。
たったひとつの答えを出す力ではなく「自ら問いを立てる」「問い続ける」力を養う。
「わかった」がまた、次の問いになる。
その新入生が不満げに漏らした「この講義の目的は何? やる意味ある?」が、まさに哲学の入口でした。「意味は探すものだよ」と言い「見るからに役に立つ学問」すらも内包して有り続けるのが、哲学なのかな(ちなみにその学生、次からの講義には来なかったそうです…)。
研究や学術に携わらない、日々仕事や家事をして生活に追われる...を繰り返す「在野」の人間にとっても色々な場面で役立ち視野を広げて見えるものを新鮮にしてくれるように、思いました。
次回の本はバード川上先生の予定です!
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