ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

ふとシュミに携わる自分の姿を振り返るとき。

前の記事のとおり スタースクリーム同盟のアイコンを、こちらのアイコン配布ページへ、お引越しすることになりました。

SNSのカタチでつながることができるようになって同盟やリンク集といった個人で作るつながりの場が少しずつ消えていくのは寂しいことではありますが...時代は移り変わっていくものですし。管理人のえーこ様、今までありがとうございました&お疲れ様でした。

オテアライ

この機会にと言っては何ですが えーこ様の以前のブログ記事を読んで深く頷いたことがあったのでとりとめもなく思ったことを書かせていただこうかと。(元記事はこちら

「好きなことに打ち込む姿勢やエネルギー」のことなんですが。

「紙の同人誌を作って頒布するより、Webで発信する方が手軽でコストもかからない」

SNSでしゃべったり発散したり出来るから個人サイトやブログは更新しなくなった」

というような感じで エネルギーを傾ける「場の移動」みたいなことは、どの方も多少なりと経験したと思うんです。

たぶん えーこ様の仰ってるのはそういうことじゃなくて。

大きな情勢と関係なく 自分自身や、取り巻く環境が変化して

それで趣味に対する姿勢も変化した ということだと思うんです。

物理的に年齢をかさね、体力や気力が衰えていくことは大きいです!

いくら楽しいからと言って寝食を忘れて打ち込むと後々体に出てくる!

さらにそれが長引く! ...完全に経験談(笑)

だから自然に夢中になるにも 『手加減をする』ようになっていきます。

家族にもこれ以上迷惑かけるわけにはいかないし。

また、それとは別に 「自分の時間がなくなる」ということもあげられます。

学生→勤め人に変わるだけでも、自由になる時間は少なくなります。

時間はあっても仕事で疲れてしまって、もうダラダラゴロゴロしたいだけ...となるのはよくあることです。

学生の頃のように「試験があるから××まで止めます!」という区切りも、外からの強制もなくなるかわり

「慢性的に時間がない気力がない」立場になるわけです。

勤めると「時間をお金に換える」生活にシフトするわけですが

私は今、育児中なので「時間を誰かに分け与えている」という感じがします。

子どもたちを見ている時間、一緒に遊んだりして過ごす時間、というのは

短い目で見れば 何も生み出していない無為な時間のように見えますが

長い目で見ると「この先の世代を(いろいろな意味で)つくる」仕事に

エネルギーと時間をあてている、と考えています。

また子どもではなく 親御さん、ご親族の介護・介助を生活の中心に置いている方も、

同年代にはたくさんいらっしゃるでしょう。

もちろん勤めている人も 仕事に注いだエネルギーによって

めぐりめぐって誰かが助かったり、商品やサービスといったカタチで人が恩恵を受けているわけで

やっぱり「誰かに自分の持ってる力と時間を分け与えている」のです。

(...いや、ホントに気力も集中力もドコいっちゃったの、って思う

毎日たいしたことしてないのに がくっと疲れて夜はよく眠れるんだよねぇ...健康な証拠ではある)

生きてく中で、その世代相応に任されるものや負う責任が増えれば

そのぶん自分のために使えるエネルギーが削られるのも、無理からぬことではないでしょうか。

若い人々がその時々に流れてくるもの、新しく出たものに盛り上がり

キャッキャとなっている姿や、熱を注いで打ち込んでいる姿に

あまり「とり残されてる」感情を抱くことはない、と思います。

「気力がない」「ついていけない」「以前のように夢中になれない」と感じるのはきっと

「今は誰かのために力と時間を分け与えている時期だからだ。」

...と、自分に言い聞かせてます。

そして「今負ってる仕事を果たして荷を降ろしたとき、注いだ時間やエネルギーは返ってくる。

また時間と気力は戻ってくる。それまで『あれやりたい、これやりたい』っていう夢だけは捨てずに持っていよう」

とも、言い聞かせています。

「失われた時間を取り返す」というがっついた気持ちじゃなく、流されず、もっと豊かに、違うカタチで。

体が衰えるように 情熱も、ずっと同じようにあるものではありません。

年とってから 再び趣味に打ち込める生活を始めたなら

その時は「燃え上がる炎!」ではなく 暖炉の置き火のような?

マイペースで落ち着いた足取りで 細く長くそして心から楽しんで続けられるようになりたいです。

というか「なれると信じてる」という気持ちで、最近は好きなことに接しています。

まとまりなくてすいませんでした...(-_-;)