ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

「愛する人に。」読みました

つづきものっぽい絵

原稿の合間に読んでた石井ゆかりさんの「愛する人に。」の感想です。すごくよかった・・・!

うん、もちろん 「読む人を選びます」 とは思う けど。

ゆかりさんの本は 人をカテゴリ分けして型にはめてしまいそうな、「占い」 というフィールドにいらっしゃる方にも関わらず、読んだ人の心を自由に解き放つような効果があるなあ、って思います。

こうでなければならない・こうするべき、という硬直した思い込みを ムリヤリでなく説教くさくもなく「ほどく・ほぐす」というのか。

恋愛について、語った本です。

メールで寄せられた、恋の悩みを題材にしています。

でも、なんの結論も出しません。一刀両断に ずっと悩んでるのはくだらないとか、そんな相手とは別れて正解 みたいなバッサリした言葉はひとつも出てきません。そういう爽快感はないです。

この本の中に用意された、著者と相談者の小部屋で話すときは、どんなカタチの恋愛も 否定されません。未練も嫉妬も、浮気も不倫も。

「どんな恋愛にも 『他でもないその人を『好きになった』ことには、必ずなにか意味があるんだよ」 という 静かな信念に、守られた小部屋です。とても安心できます。

なぜ安心したかというと、じつは この数年、ずっと忘れられない人がいるからです。

あ、ちゃんと同じ次元に住んでる人ですし、ロボじゃないです (笑

そして もうそのひとに 気持ちが通じるときは来ません。それを想うととても苦しいです。1日も忘れたことはないです。

その他のいろいろな要素を具体的に挙げていけば こりゃ立派に 「道ならぬ恋」です。

クルシイくるしい、もうしょうがない。

そんなワタシが この本の最後の章 「無償の愛って、きれいごとじゃないですか」 を読んで すごく惹かれた部分がありました。

(いやこの章はぜんぶ引用したいほど、うなづくことばかりでしたが!)

「失恋はだれのせいでもない、絶対的な不幸な出来事」

数日前どっかでも

「要は、ふる/ふられるということは 全人格の否定なんです。

どんなに優しい言葉で穏やかに別れても」

というのを、きいたような気がします。

生きてくことについて とことんマッチョを要求される いまの世の中では、失恋したら切り替えてふっきって、次の恋を探すか、別のことに打ち込むかして忘れること、前向きであることが 良しとされます。

(失恋だけじゃないな、すべての不運や失敗について「引きずらない」「早く切り替える」ことが、良いことなのだ)

なんとなく、その辺の人のこころについては 近代以前の人々のほうが 理解があったように感じます。

想い破れて 命を断ったり気がふれたり化けて出たり・・・という話がたくさんあるじゃないですか。

そんな愚かな人にたいして、作者も読者も とても同情的に見ていた時代があったんじゃないかって。古典や昔の小説を読んでると、感じる。

そのくらい誰かを好きになることは、自分のすべてを投げ出す、命がけの行為だっていう、共通の想いがあったように見えます。

つらい。女々しい。ばかみたい。でも忘れられない。

じぶんという人間をまるごと否定しなきゃならない経験をして 元通りになる、すぐ立ち直るということのほうがヘンな気がしたりもする。

何も「なかった」ことにするのが、「強いこと」なのかな って疑問が湧いてくる。

失敗や 不幸で どうしようもなく壊れて変わっちゃって そのままの姿で生きてくほかないときも、あるんじゃないかな。

「自然の回復力はすごい」というけど、災害でもとの形を失った山や湖は 崩れた形のまま、そこにもう一度草木が生えて 昔とはまったく違う景色になる。

もとの姿を知ってる視点に立つと 「昔の面影がなくなってしまった」ということになるけど

そうやって比較しないなら、草木が生えて、まだ「生きている」ってことには 変わりがない。

ひとの精神も思ってる以上に自然の一部だから 傷を負っても 負ったなりの景色を作って生きていくというか・・・そういうものなんじゃないかな?

石井ゆかりさんの本の結びに

「ひどい嵐が来て、たくさん外の水が流れこんだ湖は 深く大きくなってたくさんの生き物を住まわせられるようになった。

恋愛というのも 人の心に押し寄せる嵐なのではないか」 という話があり・・・

それに共感して 何かいろいろと書いてしまいました。

この気持ちは この先、どうなっていくんだろう。全然見えない。

でも見えないままでも、転びながら歩いていよう。

忘れられないままでいいから。