七日関白悲しかった…あれだけ病人と濃厚接触して罹らない道長はなんなんだ…天に守られてるの? それも何かの伏線??
仲良くワチャワチャしたり協力して民のための政をするところ、見たかったですね...。
道兼の最期を見てて
彼は真言を唱えていたけれど 人を殺し、あざむき、おといしれた、罪の自覚はその頃には強く持っていたと思う。過去を振り返り「愚かだった」という悔いもあった。なのにここに及んで仏にすがろうとする自分に、まさに「往生際が悪い」と気づき 「ぶざまな、こんな悪人が」 とひとりごちたのかなと思いました。
でもたとえ、仏が彼の魂を救わなくても、子どものころから兄を見て 迷ってきた道を、変遷を見てきた道長が駆けつけ、抱きとめてくれた事が 道兼にとって救いだったんじゃないかな。無念を伝える相手がいた、希望を託すことができた、というかたちで。
死ぬとき何も悔いを残さないと言うことは、不可能だと思う。それでも道兼はできる限りのことをして果てる事ができたのではないか、と思います。
民を「気晴らしの虫ケラ」扱いしていた若き道兼って 心の底では己の事も、無価値な人間だと感じていたのではないでしょうか。「俺も地位や肩書きがなければ、力を証明しなければ『家中の虫ケラ』ではないか」と。その怯えが彼を乱暴者にし、示威的な行為に走らせていたのではないか。
一家の最高権力者である父・兼家に認められること以外に、自分の生きる意味はないのだというくらい、価値も居場所もないと思っていたのでは。
主人公サイドの、まひろ・道長は先に死んでいった大切な人を道標に、その命を背負って自分たちの成すべきこと・使命を探したけれど
道兼の場合は老いた父に失望し、「とっとと死ね」 と投げつけた。それはすべてが父頼み・父基準だった自分の(おさない)心にも、「死ね」って突きつける行為だったと思うんです。
古い自分の価値づけを殺して 無一物のようにならねばならなかったんですね。いちど死んで、ひとりでは回復できなくて、道長の呼びかけが必要だったですけど、生まれ変わる事ができた。憑き物が落ちたような穏やかな話しぶり、自然体になりましたよね。
自分のことを大切にできる様になったら、ひとのことも大切にできる様になる。もう強そうに見せなくていい。愛される価値がある事を証明し続けなくていい。周りが見えるようになる、引き受けることに目が向くようになる。
「汚れ仕事は俺の役目だ」 の、言葉の意味が鮮やかに転換するの、素晴らしかったです。
「光る君へ」世界においては、最初にまひろを喪失の中に突き落とすヒールとして、鮮烈に登場して(あまり私は当初から悪役、とは感じなかったけど…)劇的に変化を遂げた道兼の姿は
とても大雑把に言ってしまえば 「人は、変われる」 …という、「希望を人のかたちにした」、そういう希望を託された、人物だったんじゃないかな…と思いました。
あああ~しかし道兼役の玉置玲央さん…最高ですね~…