ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

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病院で息子と一緒の面談や、心理士の聞き取りなどを何度か重ねました。

その結果、自閉症スペクトラム症(ASD)の傾向、可能性があるということでした。

夫は「そう思ってた通りの結果だったけど。」言ったけれど。「思っていた」のが「そうだった」に変わったのは、もう、大きく違うよ。

多少知識がある一般人が「そうじゃないか?」と疑ってるだけのときと、医療機関で診断が出た今とでは全然違う。と私は思います。まず精神科で扱う症状に非医療者が「それ●●病じゃないの」と かじった知識で決めつけることは危険だし 差別につながると思います。私も以前はポロっと気軽に言ってしまってました。もうしません。

そういう表現でよいのかわかりませんが 「プロのお墨付き」 をもらったんだ と受け取っています。こういう人はたくさんいて支援機関や福祉の制度がある。それらに診断書を持って行って、利用したり つながることが出来るようになりました。

ここからどう動いて 家の外、家族以外の人間と、関わるきっかけを作るか。彼が無理をせず続けられる学習や就労の方法があるか。回り道してしまったけど、なにかこう「スタートライン」に立てたような気がしてます。

もっと早く、中学生のうちに受ければよかったのかもしれない。義務教育のうちに療育などができていたら、と思ったけど…まだその頃は自分や夫の知識が追い付いていませんでした。あと担当医が変わって一度診断を受けてみることを勧められたからというのもきっかけのひとつでした。(なぜ以前の先生は薬を処方するだけで言ってくれなかったんだ…というモヤモヤはある)

それとこれは、いつも申し訳ないと思ってしまうのですが 私も夫も診断は受けていないけれど 「どうにか、すごく疲れながらも落ちこぼれギリギリ、社会生活をやれてる発達障害の傾向」持ちなので…。

かえって息子のことも 「たいしたことない、だって『自分も同じ』だけど、やれてるから」 とたかを括って、引きこもりが数年単位になるまで、ただ幼児のように身の回りの世話をしてあげることしかしてなかったことです。

(私はご覧のとおり、得意なこと一点突破、それ以外はポンコツで、出来ないことやりたくないことはやりません! ってやつ。夫は気持ちの切替と時間の把握が苦手で要領が悪く、休むことができず、愚直に同じことをやり続けて力尽きて倒れるまじめな人...)

学校に通えていたころ、つまずいたり、いやがった時も、よく気持ちをきかず「お母さんだって学校嫌いだったし、今も人に会うの嫌だし苦手なことたくさんあるけど頑張ってるんだから、お前も頑張れよ!」「やってみて慣れれば何とかなるはず!」という、自分を持ち出すような励ましを、よくしてたことがありました。

なまじ「似た者」だったせいで「おまえのことはわかる」と思い込んでしまって、自分の大丈夫な基準に息子をあてはめ、がまんさせてしまってたんだなと、苦く思い出します。

振り返れば学生服や体操服の生地の感触が苦しくて着たくないとか 特定の匂いや食感の物は食べられないとか。いくつも自分と違う事を見つけられたはずなのに。

自分ががまんできてるんだからおまえもできるはずだ、というのは。本当にひどいことをしてしまった。

そう、自分にガマンを強いてることで 巡り巡って子どもにもそれを強いることになるんです…

 

「ここからだなあ~」と思ってます。

すぐに何かが変わる事はないけれど(急な環境の変化こそ 彼がいちばん苦手とすることなので)引き続き相談機関に診断の内容を伝えて 息子も、私も孤立しない。ことを続けていきたいです。ASDについても勉強しないとね。

彼の「意味がない」という口癖も もう一度、違う気持ちで考えてみたい。

 

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ほんとは夫にも、もっと関わってくれる時間をつくってほしいんですけどね。

それはまた別の、夫婦の、あと夫の職場の働き方 / 働かせ方の課題です。