3月11日がやってきました。
毎年この日が来るたび、自分は今どんな気持ちでいるのか? に絞って書き留めたいと思って、続けています。
その瞬間、私は通っていた精神科のクリニックから帰るバスの中で、自宅では母が息子を預かって留守番をしていました。
なんだか不謹慎なくらい、テンションが高いですね。
爆発して燃えあがる石油コンビナートを見ても、まるでお祭り騒ぎに居合わせたような「めったに見られないものを見た!」というくらいの気分だったのを覚えています。
今思えばそうしてテンション高く、他人事のようにふるまうことで 心にダメージを追わぬようにする「防衛機制」のようなはたらきが私の中で起きていたのかもしれません。
しかし時間が経つにつれ 自分の生活にも「どうやらこれは非常事態である」という空気のようなものが押し寄せ始め、こころの調子を崩していた者にとっては 毎日がパニックになりながら
生命の危険とはまた別の面で、ギリギリで生きていました。
おもしろおかしく、睡眠時間を削ってチャットをしたり絵を描いたりしては、元気に過ごしているように見えても それは上っ面の明るさというか、
揺れたり、停電が起きたりすると泣いたり、と思ったら子どもに怒鳴り散らしたり、内面は相当参っていたように思います。
結局そのあと3ヶ月ほどの間に 住む家・暮らし方を変えることになり、もう生活全般について 移動したり片付けたり捨てたり散らかしたり、いろいろ試してみるということが、震災をキッカケに雪崩のように起きました。
今現在、聴いているラジオから 流れてくる情報は、
津波の被害を被った地域に住人が戻ってこず、人口が1割以上減少したままの自治体がたくさんあって、町の共同体が失われてしまったこと、
戻った人も別の場所で生活を再建した人も 生活の基盤として必要な生業が奪われ、お金が回るコミュニティごと無くなってしまったので収入が減ったままのこと。
そのために経済的に厳しい状態から 抜け出す道が見えないこと、など。
災害によって破壊されたもの(特に、目に見えにくい人間関係)が 元の状態に戻ることは おそらくみこめない、という事実の重さがあります。
時間の経過によって、個人個人の心の回復にも差が出てきて
(震災のことを積極的に話したいという人、早く忘れたいという人。見たくも聴きたくもないという人。
いつまでも被災地・被災者、特別な土地あつかいする取材や報道にウンザリしていらっしゃる人、など)
そして原発事故による放射能の影響を どのくらい正しく(あるいは、過敏に)とらえているか、ということなどで。
心の中に震災の記憶をどう置くかによる、わかり合えない差。
同じ地域にいた人の間でも、考え方の違いで「分断」のようなことも起きているのかな、と思います。
私のダンナさんは岩手県の大槌町でボランティア活動をしたのち、今も半月ペースで地元と釜石市を行き来する生活をしています(それは仕事の現場作業ですが)
今月は、ラグビーワールドカップが開催される釜石鵜住居復興スタジアムを見学してきたそうです。津波で流された小中学校の跡地に建設されました。
釜石から大槌にかけての海岸線は、土盛りで浸水した土地を埋め立てた先に、まったく海が見えないほど高い防潮堤がほぼ出来上がったそうです。
目に見える風景は、変わり続けています。
自分の見えない部分は どうなったか というと。
8年たって ようやくなのですが「私だって、あの地震つらかったよ。被災したよ。」と、言えるようになりました。
「もっと大変な人が沢山いるのにそんなこと言えない」とずっと思っていました。ほんとうに、物的経済的な被害は微々たる物でした。
でもあの3月11日に、地震の情報を受け取り、
ものの見え方・感じ方に 影響を受けたのであれば みな被災者なのではないかな、と今は思うようになりました。
今こうして「被災者・被災地」とタイピングするのにも、本心は抵抗を感じるんです...他に言葉があればいいのですが。
被災した人・しなかった人の間に「ここまでの被害があったから、当事者だ」とか、
そんなハッキリした、境い目みたいなものはないように思います。
「アチラ側の人、かわいそうな人、自分とは関係ない人」と思って 分け隔てるような心の壁なら、そんなのは作ってはいけないと思います。
「私も当事者だったんだね」言えるようになったことは わからない方には、伝わらなくて全然かまわないけれど 自分にとっては 大きな変化だと感じます。
立て続けに大きな自然災害に、日本全体が見舞われています。
何処に住んでいても、「明日はわが身」ということをヒシヒシと感じます。それこそ いつでも当事者になりうることです。
それに備えること、また私は いちおう健康な成人で保護者でもあるので いかに家族の生命・身体の安全を守るか考えて 常日頃から準備をしておくこと。
失われた多くのものに報いるには、余りにも微々たる恩返しではあるかもしれませんが 自分自身の経験から 学び、教訓とし、
「次の災害でまず自分が生き残ること、そして助けられる・救える命を増やすこと」「今、助けが必要な人に気づいて、寄り添うこと」が 自分がやるべきことだ。と、今は思います。
まとまらず、すいません。