たまには子どもたちのこととか。
小学校、今年も学年別で運動会が開かれました。 娘に 「ママもしばらく暑いところにいるんだから、朝ごはんしっかり食べて、飲み物忘れないでね」とのことでした。はいっ...。
娘、いつも運動会が大好きで気合入ってるんだ〜。プログラムの校庭マップに赤ペン入れて、「ここを走るから、ここで待機して写真を撮ること!」って、場所取り指示までしてくる。リレー選手も応援団員もやってる。しっかりしてるし、目立ちたがりなのよ…。運動会も体育祭も嫌で嫌で、不登校の一因だった息子とは全然違う。
運動会終わって…娘、かっこよかったです。️がんばって、応援賞もらえてよかったねぇ!
次は高学年恒例の研修施設での泊まりがけ学習があるのですが、それも何かのリーダーをやりたいらしくて、張り切ってます。
娘の活躍や、やる気を喜ぶ気持ちとともに。
「団結」「仲間とのきずな」「応援してくださった皆さんに感謝しましょう!」という あの学校の教育空間に馴染めなくて、イヤイヤやらされたか、もしくは参加してない子も当然いるだろうなというのが、何の学校行事に参加しても頭から離れないです。
私も息子も、そちらだったので。息子が今、通信制と授業を併せた高校に入って通えてるのは、小中学校と違って 「試験をクリアし高卒資格を得る所」 でしかないからだと思う。
そこにいる人たちと仲良くすることなど求めてないし求められもしない。部活もしないし、同級生とも極力交わらず、授業終わったらまっすぐ帰って寝るか、ゲームやネットなど好きなことをして回復する。余計なことにエネルギーは使わない。疲れたら休んでもいいし。そういう学校と学生生活が性に合う人間もいる。
そうやって、適当に適応していければ、いいんじゃないですか。
繰り返しになっちゃうけど、同じ親から生まれてもこれだけ違う方向へ行く...というのは やっぱり持って生まれた気質に拠る所が大きいよなあと思います。
どちらかといえば 人づき合いが良く、かつ人の気持ちを慮りながら接することができる気質を『よし』とする風潮が社会にはあるけど(でも日本人ってどっちかというと、そういうのホントは苦手なのに無理してやってる...という人多くない?)どちらの気質も、ソレに合った生き方も、否定されることなくあっていいと思うんですよ。
だから娘が学校のことを楽しそうにしてるときに 「ママはそういうの、何が楽しいんだかわかんないな...」とか、話の腰を折るような事は言わないように気をつけてます。(たまにポロッとでてしまう)