ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

「子どもがひきこもったのは私のせいだ」という考えと、対処法。

息子の高校入学の準備中です。

先日は学校標準服(着なくてはいけないものじゃないので、制服ではない)の採寸と、オリエンテーションに行ってきました。何度か日を改め、トイレに閉じこもったりしたけど(そういう子が多く通う学校なので予備日が設けられています)、さいごは出かけることが出来ました。

 

学校に行かない子どもがいると、SNSなどで、たまに目にする

不登校・ひきこもりの子どもは、家庭環境が悪い。親がろくなもんじゃない」 という意見や、不登校から引き続いて、進学できなかった・就労できなかったり、家にいる期間が長期化することで、家族との関係が悪化している・お互いに将来に絶望している、という当事者の方の、叫びのような声、言葉を目にすると、気持ちがふさぎます。

やっぱり私のせいなのか。

息子に取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。もしあの時に戻れたら、あんな言動はしなかったのに...。もっと安心して、深く考えないで、外の世界に出てゆけるよう、育てられたかもしれないのに...。

そういういろいろな気持ちが 何かのキッカケで洪水のように襲ってきます。

 

でもいくら反省したり自責の念に駆られても、それで息子が学校に復帰できるわけじゃなかった。時間は戻せない。「あの時ああしていれば」なんて考えるだけ無駄なんですよね。きびしいけど。

変えられるとしたら「これから」のことですし、考えてるだけじゃなくて行動する、で。

どうしても気持ちが切り替えられないときは、客観的な視点を取り入れるために

  • 養育者はひとりだけじゃない(少なくともうちには、不在がちだが父親がいる)。子どもは母親ひとりだけの影響を受けて育ってきたわけではない。
  • きょうだい(うちの場合は妹。学校と友だちが大切な、まるで違う性格)は、同じ親から生まれ育っても違う成長過程を歩んでいる。それぞれの子どもに生まれ持った性質がある。
  • 不登校・ひきこもりは、その家だけじゃなく学校や社会のしくみの問題でもある。

の3つに、立ち返ってみるようにしました。この3つは正しいか間違ってるかじゃなく 「事実」だと思うので。

 

futoko.publishers.fm

親が大丈夫というサインを出すことは、子どもの安心につながる大切なことです。なぜなら、親が大丈夫と思っていないときのオーラというものは、子どもにビンビン伝わっていますし、それによって子どもはさらに追いつめられてしまうことがあるからです。ですから、まずは親自身が大丈夫と思えるようになることがとても重要です。ただ、根拠なしに大丈夫なんて思えませんし、わが子のこととなると、やっぱり難しいですよね。

 

親御さんのなかには、わが子をどこかに通わせようとしたり、なんとかして他者との出会いをつくろうとされる方もいますが、親から一方的に促されて見つけた居場所や人間関係ほど意味のないものはありません。まずは、親がいろんな人たちと出会い、たくさんの話を聞いてほしい、私はそう思います。よい循環がめぐっていけば、子どもたちはエネルギーを温存します。そして、風向きが変わったと本人が認識したところで、本人らしくエネルギーを発揮できるようになる。そのタイミングが来るまで、親は本人を信じて、待ってあげてほしいと思います。

 

親が子どもの姿に うろたえ、不安な暗い顔をしたたままだったら 子どもも不安なままだ。 「それはそれとして私の人生は楽しみますので」 くらいでいいんじゃないか、って。「あなたのためにすべて犠牲にする、あきらめる」 ってされたら、ますます子どもは つらいんじゃないかって思います。

 

子どもの「ふつうじゃなさ」を、恥だと思わないこと。責めないこと。とにかく「待つ」こと。

話が出来る様子のときは、よく話を聞くこと、この家では、話を聞いてくれるのだ、という安心感を持ってもらうこと。

親の雰囲気や見せる背中が、子どもに影響を与えるんだから 子どもを変えようとするより自分が変わろうとすること。

外の世界は、他人と関わることは、怖くていやなことばかりじゃない、と「私自身が」思うこと。

 

また自分に言い聞かせることばかり書いてしまいました。 ウワーーーーめちゃくちゃ不安だ!!(叫)今の時点では「入学が決まった」というだけで、これから通えるのか。人間関係が作れるか。など、私としてはすごく心配が募っていて、それでグラグラしてるんだと思います。