ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

わたしの 『描く』 と 『書く』 のこと。

たまに書いたものを褒めていただくことがあります(つまりこのブログです)。 絵を評価していただくのと同じくらい嬉しい。

「書いたもの」といっても 創作(小説)じゃなくて、日記や感想文、考えたことのおぼえがき、みたいなことばかり書いてるんですけど。

まずわざわざココを見にきてくださる人がいることが 文字通り 「有り難い」 ことです。

趣味で「ものをかく」方で、「自分は、絵描き / 字書きだ。」というのを気にされるというか、自己規定したい方もいるけど 私は「どっちも楽しいので、決めないで、どっちもやります」 しか思ってなくて。
誰かに、どっちをやれとも、やるなとも言われてないし。描きたい / 書きたいことをしてきただけです。

誰にも頼まれてもいないブログをどうして17年(!)も続けてられるのかなーと自分でもふしぎです。いくら読まれても何をクリックされても、小遣い稼ぎにはなってません...w 即時の反応を求めてもないし、たくさんの人に読んで欲しいとも思ってません。

ただ世界の片隅にポイと置かれてあって、そこにあり続けて、ぐうぜん通りかかった人の目にとまり、どこかが心に残れば、その人にとっても私にとっても幸せな出会いだなあ、って思います。

B'zが好きなんですが 『MY LONELY TOWN』という曲の歌詞が、私が同じ趣味の人と関わったり、表現したりする時のスタンスに、めちゃくちゃ沿ってるわ~、好きだわ~、と思います。

g.co

SNSにパッと思いついたことを言って、その中でちょっと「これは残しておきたいなあ」というつぶやきを元に膨らませ推敲して、記事にするパターンが多いです。

SNSの言葉はその時起きたことへの脊髄反射的な勢い、気分が強いものだから、 「少し冷静に、手間をかけて書く」場や、「あとから振り返って日付けを追って読みやすい」場が、SNSとは別にあったほうが良いなって。それもブログを書き続ける動機かもしれないです。

長期の目で見ると自分の考え方が変わってきたことがブログを通してよくわかります。

今ではまったく同意できないこと、どうでもよくなってしまったことに、過去の私が一生懸命すがって 「そうに違いない!」と思いこんでいたり、「私はこういう人間なんだ!」と訴えてるのを見ると 「それは思い込みが激しすぎないか?」と突っ込みたくなったり、「若いなあ、かわいいなあ」と思っちゃったり。恥ずかしいのは確かだけど、「その時は、そうだったんだ」って。否定したり記事を消したくなったりはしません。

こんなにも、ひとは変わるもんなんだなあ…って。きっと10年後の私も、今日の記事を読んでそんなふうに苦笑するんだろうな。意気込んで続けるぞ! って思ってないけど、続いてたらいいねぇ~。

 

世間的には絵が描けることの方が、特殊な能力っぽく見られてるのかしら…? でも誰でも、なにかを描くことじたいは、難しくないと思う。

そこに色々な他人からの目に見える評価がつきまとい、比べて/比べられて、傷いついたり疲れちゃって、やめちゃう人がおおいのかも…とは思ってます。「描くからには上手くなきゃ!」と自らにプレッシャーかけちゃったり。その「上手い」の基準というか、対象が、最初からいきなり、人気作家の人やプロとしてお金もらってる人のレベルを追求していたりして、「あこがれるのはわかるけど、あれは数少ない一握りのすごい人たちなんだよ...」と、言いたくなる時があります。

この間、書店の、昔からある「まんがの描き方」のHowto本が並んでるコーナーに行ったら 『こころが折れずに絵を描き続ける方法』『絵師のメンタル管理術』みたいな内容の本がいくつかあって… 今、こういうものの需要があるのか~と思ったところで。これもSNSをみんな使い、作品を発表して、評価が「みえる化」される時代ならではってことなんでしょうね。

 

自分の場合でしか話せないけど。

文章を書くときと同じで 「ひとを楽しませたい。」 という気持ちを、少し筆にすべりこませて描くのが、私にとって 描くのがつらくならない対策というか、長く続けるための知恵だなあ、と思います。

「認められたい」「反応が欲しい」は、主語が「私が」ですけど、「楽しくなって欲しい」は 主語が「だれか(あなた)」なので。

ひとつ絵が完成し、公開するたびに、私だけのものではなくなって、見る人みんなのものになるんだ、と思っています。

何かこう、巣立つ子の自立、背中を見送るような気持ち...? 大切なものだけど私自身ではないよね。切り離して、送り出す。評価や反応を 「なるほど、あれはそういうふうに受け止められたんだなぁ」って、他人事のように眺めてる。

こう描いたという意図通りに、受け取ってもらえなくたっていいじゃない。それを見た誰かがちょっとでも クスっとかニヤっとか、オオっとか、レスポンスがなくても心動かして思ってくれたらいいな、って。

創作物の解釈に正誤はない。むしろいっぱい、受け取った人の数だけ、いかようにも取ってもらえたほうが、楽しい。自分の基準で、成功/失敗を決めない。

作ったのは私だけど、その作品は もう見たあなたのもの。

もし私の描いたものを 何か「イイナア」と思ってくださったのなら、それはイイナアと思えるあなたのこころが、イイものなんです。いきなり、相田みつをみたいなこと言い出したけどw これは強調したい。

 

あ、上記は「心の中の」ことであって、社会のルールとして、著作権は放棄してないので...無断転載・使用はおやめください。そこんとこはなにとぞ よろしくお願いします。

 

なんてダラダラと 最近思うことを書きました。また思いついたら、続くかも。