ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

息子が高校生になる

中学に行ってなかった息子が、単願で受験した高校に合格しました。ずっとベッドで過ごしていた息子にも変化が訪れそうです。

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喜びというより、はぁあ…ヘロヘロ…、って脱力感に襲われてます。本人も淡々としているし。

選考方法は 願書と共に提出した自己推薦文と面接。

どちらも息子は得意(文章を書いたり考えを言語化する)なことなので、受かるかどうかについてはハッキリ言って親として自信があったけど、そこに至るまでの準備は不安だらけでした。時間を守ったり予定を把握するのが苦手なのです。

「世の中には〆切や約束の日時ってもんがあるんだよ、どんなに優秀だろうが間に合わなかったらアウトなことがあるんだよ!」って。願書を作成するのも、試験当日に朝起きるのもノンビリで、本人のやる気とアクションを待っている者として、ひたすら見守る、余計な口出しをしない、それだけに気を使う日々でした。はああすごい...ストレスが。

当日は夫に駅まで送ってもらい、ひとりで受験会場に行き、ひとりで帰ってきました。夫は「2年引きこもっていた子がひとりで外に出るまでになった、それはすごい成長じゃないか」と言いました。私もそう思います。

 

出席が数日しかなくても定期テストの成績がなくても、受験できて通えそうじゃないかという学校、いくつかピックアップして説明会日程を調べて予約して、当日は同行して、わからないことを質問して。

夫は仕事で忙しいので、家の窓口っぽいことは、ぜんぶ私がやりました。

中学校の担任の先生は、きめ細かく相談に乗って下さり、家庭訪問や電話なども欠かさず毎週していただいて、学校選びの上で本当に大きな助けになりました。

私が不安でしょうがなくなって、愚痴や泣き言は、スクールカウンセラーソーシャルワーカーの方に話を聞いてもらって、支えてもらいました。

それを息子に「恩に着ろ」という気は全然ない、ホントにない。

ただ素直な気持ちとして「自分のことをお母さんにまかせてしまって心配じゃないのか? 後で『勝手に決められた』と私のせいにしたくならないか?」という疑問は、すごくありました。

それを息子にきいてみたら「だってどの学校がいいかなんてわかんないから。あとお母さんのことは信頼してるから」とのことでした。

どうやら私は息子に信頼されているらしい。とりあえず言葉の上では。幼い頃あんなにひどい仕打ちをしたにも関わらず、です。

 

私自身は高校受験に際して、とにかく「親は何もしてくれないもの」という前提で動いていたように思います。

受験だけじゃなく 学校生活全般に漠然とそんな気持ちでいたような気がします。いや、学費を用意してくれたというだけで「何もしてくれなかった」わけがなくて、そこは子どもっぽい思い上がりと勘違いがあったのですが。

 

「親は仕事や他の家族の世話で忙しいのだ、親の手をわずらわせてはいけない」意識が強くて、そう表現すると親孝行な優等生っぽいけど、つまりそれは親を信用してなかったんだと思う。

「一刻もはやく親の手を借りない人間になる。」をひたすら目標としていました。

不登校になった始まりの状態も、息子は「布団から出てこない」だったけど、私は親に「嫌なことから逃げるな、がんばって登校しろ」と言われたのもあり「行きたくない」と言い出せなかったので、登校するふりして、自分で欠席の連絡を入れ物置に隠れて本を読んで過ごし、下校時間に家に戻るという「偽装」をしていました。(すぐにばれましたが)

親があきらめた後は、図書館で自習して(まだスクールカウンセラー制度がなかったので)保健室登校で、出席日を稼ぎながら、定期テスト類は別室で受けておいて、成績は残して、学校見学の予約も進路書類も自分で書いて...。どうにかして「不登校でも進学できることを見せてやるぜ」的な、りきみはあったなあ、と。

息子はまったく、そういうのがなくて 最初から行きたくなさを素直に私に出して、梃子でも動かない姿勢で、家に引きこもりました。

「子どもそうなったら絶対に行かないものだ」というのが自分の経験からわかったので、息子が自分から動き出すまで待とうと思いました。

でもそんなに強い決意ではなかったので、大丈夫なのか、ここから何十年も社会とのかかわりを断ってしまったら...仕事は...親亡き後の暮らしは...という先を考えすぎた焦りと戦っていました。しんどかったです。自分のためにカウンセリングに通うことが必要でした。

 

息子が受験できる通信制高校単位制高校・サポート校を調べてたら、みんな設立年が私が成人した前後くらいの新しさで、つまりそうした中学に通えない子のニーズにこたえる進学先が整備されてきたのは、最近のことなんだなと思いました。もし私が中学生の時にこれらの学校があったら選択肢に入っていたかもしれない。

もっと根本で言えば学校に通うことが当たり前じゃない子どもがそれだけたくさんいる、増えてきた、これからもますます増えるだろう、ということで。全国で不登校19万人でしたっけ。

息子の世代、「学校に行きたくない」というのは言い出しやすくなったし、それを受け止める保護者がわも「じゃあこういう学校以外の過ごし方がありサポートがあり、進路があるよ」という情報が入手しやすくなって、また実際に色々な居場所があるというのは、少しずつ良い方向に向かっているように思います。

 

...まあ戦後からほとんど変わらない、義務教育のクラス制度や行事の在り方が「このままじゃだめでしょ、時代の実態に合ってないよ」を突き付けられてるんですよねホントは...。

 

とりあえず息子の今後の予定としては、中止になった修学旅行の代わりに実施される、予定の3月の卒業旅行には行かないというのは、自分で決めてました(でも、できるんですかね?)卒業式も、感染状況によってどういう形態になるかわからないけど、出たくなさそうです。卒業証書だけ受け取りに行くのかなあ。ほとんど着なかった制服の引き取り先も探さないと。学校でもらってくれないかなあ。

 

高校に入学できても順調に行けるとは思っていません。変化や刺激、他人の言動に対して繊細に受け止める息子は、これからも何度も動けなくなることがあると思います。

その都度、学校や病院、専門機関の助けを借りながらやっていくことになりますね。

 

以上、自分の覚書的な、息子の受験のことでした。

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