ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

ささえられ、みまもられる。

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6月から今年度の小中学校が始まりました。

退屈していた娘は喜んで登校し 新しい学習や新クラスの友だちと楽しくやっています。

息子はやはり登校することはなく、昼夜逆転して寝起きして、動画を見る生活をして、そんなふうに2週間が過ぎました。

私たち夫婦も 職場とお客さん両方が通常営業にもどってきたので忙しくなってきて、息子については 朝晩のあいさつ、ごはん・風呂の時間の声かけ、あとは見てるだけ、という日々です。

 

 

息子自身が、学校に関わる人・できごと・勉強etcに ふれる事を拒んでるので 私が連絡を取り合って「今日はどんな様子だったか」というのを、数日おきですが先生に話しています。最近の先生(スクールカウンセラーだけでなく普通の教科担任なども)、「とにかく学校に来させよう!」 という態度で生徒に接する人はいないんだなあと感じます。

 

人目にもつきたくない(同級生と会いたくない)ので 外出するのはSwitchの課金用プリペイドカードを買いに、コンビニに行くだけです。

 

私は以前から個人的に通っているカウンセリングルームで 今の気持ち、息子に対して思うことなどを聴いてもらうことで、感情的にならず整理を出来ているような感じです。

本人もそういった、秘密を守ってくれて、気持ちを吐露できる場に行けたらな、と思いますが 今は嫌がっています。

 

不謹慎にも、子どもの不登校を 「来るべくしてきたな」「こういう経験もしておいたほうがいいな」と、受け止めている自分がいます。

大人って 不登校当事者の子どもが知らないうちに、言い方が悪いけどさまざまに「手を回して」子どものために動き回っているのだ...ということに気づき、楽しいです。

私が彼と同じ年のころ、ずっと「自分は世界にたった一人」のように思っていました。「誰も私には触れがたく、近寄りがたく、仲間はずれで、いないほうがいい、いなくてもいい存在なのだ」と思い込んでいた頃、

私の親も学校の先生も 知らないところで自分を気に掛け続け、見守り、さまざまな道を模索し準備し続けていた。PCやスマホで言うなら ずっと「バックグラウンドで動作していた」のですね。

「今度は私が『バックグラウンドで動く者』になったなのだな」と思いながら、過ごしています。

いつでも子どものことを考えています。片時も(夢に見るくらいに)忘れてない。

けど外面的な、子どもに見える範囲では何もしてないように見える。いつか本人が、動き出したいという意志を持ったときに助けられるように、ひそかにアイドリングだけはしている。

 

なんでも物語や舞台に例えてしまうのですが 「親と子」 という舞台があって、これまで私は 「子」 サイドのストーリーのみ知っていたけれど 今度は 「親」 サイドという 「同じ問題を別視点から」 見て、体験しているように思います。

 

ちょうど今月 「金曜ロードSHOW!」で 往年の名画「バック・トウ・ザ・フューチャー」シリーズ3部作を放送してて、楽しく観ていますが、

子どもの立場だった頃は、第1作の 「1985年から1955年へ来たマーティ」 の目で世界を見ていて

親の立場では、第2作の 「2015年を経て、再び1955年の同日同時刻へ来たマーティ」 のような経験をしているのかな~、と思います。

 第2作目のマーティは、世界が、自分の視界の外でも動いている(いた)ことを、確かに知っている存在に変わっています。未来を知るという経験をつんだ後、 同じ世界を今度は違う立場から動かす 「リブート」 をしているのです。

それが、今の自分と重なりました。

 


 

学校という 「ふつうはみんな行き、みんながやる」集団の中で生活するのが 「ふつう」のこととしてこなせず、つまづく子ども、そういう人間は います。絶対います。学校の枠になんて収まらないほど、生きてる人間ってすごく多様だから。

そしてそういう気質はけっこう家系に由来するもので、親から子へ受け継がれるものだと思います。私は専門家ではありませんから、これに発達系の症状であるとか何かの病状であるとか、そういった診断めいたことは決して言えません。

ただ、「私が、そうであったこと」

「私の父・祖母も、そうであったエピソードがある」

「何となく夫も 相当無理をして適応しているが本当はつらそうだ」

という周囲の人々を見ていて、また幼少から小学校の様子を見ていて、息子も その気質・性格を受け継いでるだろう、というのは 予想し、覚悟していたので。

(娘のように 血を引いていても受け継がなかった人、というのももちろんいます)

 

かつて不登校だった私の経験が やっと今、生きているかなあ。生かせるといいなあ...

 

今日、実家に寄って 実母と会ったのですが しみじみと 「○さん(息子)は、あんたが母親で良かったね」と 言われました。

実母が 私のような異質な理解しがたい人間が子どもだったこと、それと向き合って途方に暮れたころのことを、思い出したのでしょうね。

 

そんなことを絶えず考えながら 毎朝起きない息子の寝床に声をかけて、仕事に行っています。