ここ数日「今感じていることを書き残しておきたい」という気持ちが強いです。
というわけで ホントに何でもない日常のことです。
今いちばん、生きてて(おおげさでなく)楽しみにしているのは、7月31日にBSで『麒麟がくる』の総集編が再放送されることです。
DVDも購入してますがたくさんの人と同時視聴しつつSNSで感想を述べあうのが楽しいので。もちろんご覧になったことのない方にも、観てほしいな~。
と思っていたら その日は娘のピアノのコンクールの日だったので、発表順によっては観ることが出来ないかも…? ということに気づきました。
娘の晴れの舞台なので、また頑張って練習してきたので。しっかり鑑賞してきます。
娘の発表日には 夫も(最悪、当日の朝には...)家にいるかな、という感じです。
夫は一緒に暮らし始めてから今までで3本の指に入るくらいの多忙さだなと思います。元々、結婚した時から「え、シフトでもないのにこんなに帰れないものなんだ」と驚いていましたが、どんどん会社(の駐車場で、車中泊)が増えてきました。
仕事の内容が見えないのでわかりませんが「現場・職場に泊まって、帰ってこない日」が続いてるので 私から見ると「とても忙しい」という解釈です。
「今週が(忙しさの)ヤマだから」というのを、1ヶ月に3回ぐらい聞きました。
「そんなにヤマばかりじゃ、もうその忙しさはヤマの形をしていない。」と、言いました。
4日に1度くらい朝帰ってきてシャワーを浴びてまた出かけます。今の季節たまにしか
風呂に入れないと 加齢臭、体臭がすさまじく、正直言ってあまり洗濯物に手を触れたくないな…と思いながら、分けて洗っています。
(ちなみに夫は、医療関係でも福祉職でもありません。)
同じように体臭がきついのは息子です。こちらは思春期臭とでも言えばいいのか。彼も1週間に1回ペースの入浴です。学校に行く日が週一回なので。他の日はめんどうなのです。
洗濯するときに あまり「香りのする混ぜ物」は使いたくない方だったのですが、耐えかねてスポーツ用の消臭効果がある柔軟仕上げ剤を使い始めました。本当は、本人に清潔にしてほしいです。
登校したら必ず担任の先生とは話しているのですが あまり学校であったことじたいについて触れられたくないので、どんなこと話したの、と聞くと不機嫌です。
ましてや進路のことなどになると「やりたいことがない、わからない」としか。
今、私は夫に対してどんな感情を持っているのか、ぐちゃぐちゃで、とても冷静になれず、わかりません。
たまに顔を合わせると私の口は堰を切ったように、ドッと不平不満があふれ出します。
「ひとりで家事をする大変さ」・「出来ない家事や子どもの送迎を、実家に頼むしがらみ、神経を使うこと」・「息子のこの先のこと」・「自分の体調が悪いことや疲れていること」などを、けんか腰にぶちまけます。
こらえることがびっくりするほど出来なくなりました。「彼も頑張っているのだから、私もがんばろう」とも思えません。もう、つかれたよ~、という感じです。
彼に対してもうどれくらい、ねぎらいの言葉をかけたことがないかわかりません。優しさも、もつことができません。
とにかく顔を見ると「その働き方は、異常だということを忘れるなよ!」「こっちは貴方の生活に合わせてこんなに我慢しているのに!」「ああ、コロナがなければ家出したい、ひとりになりたい!」と、苛立ちや怒りをむき出しに、はっきり口に出して言ってしまう。
夫はいつも黙って聞いています。所用で私の母に会ったとき「いつもドアノブさんには苦労ばかりかけて、悪いなと思います」と言っていた、とのことでした。
夫にそういう言葉を投げつけたあとは やはり「私って最低だな」と思います。どうしていいかわからないです。
月一回、通っているカウンセラーさんは ひとことだけ
「さみしいし、彼のことが、心配なんですよね」とのことでした。
そうだ、彼がいないことは寂しい。だって人と関わるのがすごくすごく苦手な私がたったひとり、一つ屋根の下にいてもいいと思えた人間なのだから。
でもごくまれに家にいたら、いたで、とてもイラつく。これは何でなのか…。
もし病気などにでもなって いなくなってしまったら、本当に心の支えも何もなくなってしまうのは確かなんです。帰ってくるのか来ないのかわからない日々が続くと そういう不安が積み重なっていきます。
「さみしい、心配だ」を、いくら言っても 彼の行動も、働く環境も 何も変わらない・変えられないことに、いらだっているのかな…と思います。
彼を変えるのではなく、自分が変われればいいのか?
彼を必要としない人間になれば?? 精神的経済的にひとりでやっていけるようになればこの不安はなくなる? そうしたらもう配偶者である必要もないのでは?
迷いや悩みは尽きません。
私にとっての現在の救いというか「居場所」は やはり絵を描くことです。
ヘタとかうまいとか 評価とかどうでもいい。描く、という作業に没入しているときが 「こころの居場所」がある。「ここにいていい、生きていていい」と思える時間です。
それしか、ありません。
そんなところが、私の日常です。