「息子が ひととの関わりが出来なくなってしまった、引きこもってしまったのは、自分のせいだ。」という思いがあります。
いつもそう思ってるんじゃないけど たとえば皿洗ってるときとか、洗濯物畳んでるときとか、そういう「スキマ」の時に 不意に「ウワーっ!」と襲い掛かってきて、「どうしよう取り返しがつかないことをしてしまった!」 ってパニック状態になってしまう。
振り返れば 生まれてから3歳までの 社宅に暮らしていた「密室」状態のころ、
また、下に娘が生まれたばかりの 4歳~小学校入学までのころ、
息子はずっと、主に私からの理不尽な仕打ちに耐えてばっかりだったんじゃないか。
あるときは支配し命令し、あるときは無視する。一貫しない身勝手な態度。
それこそ 逐一挙げていけば虐待でしかないようなことばかりが、思い出されます。
甘えることも出来ず、心の基地、よりどころのようなものを 持てないまま14歳まで来てしまったんじゃないか。だから家の外、他人と関わる世界で ある意味「戦える」、揉まれてもくじけない心が、ないんじゃないか。
なんだか最近すごく その後悔が募って。
夫と、現在支援してもらっている人たちに 直接質問をぶつけてみました。「息子の今の状況は、私の責任で、私が作ったと思う?」と。
夫(彼にとっては父)は「思わない!」と即答でした。また「自分のせいでもない」とキッパリ。「息子君じしんの、気質だから」と考えているようでした。
これほど割り切れるのは 父親だからなのか、また夫の気質なのか…。
通院している児童精神科の先生も「それは、関係ないですよ~」とホンワカ返してくださいました。
私が通うカウンセリングの方も、
中学校の相談室に来ているスクールソーシャルワーカーさんも、
市役所の福祉課の担当者も。
「お母さんのせいではないです」と 言い切るのですね。
びっくりしている。
今から変えたほうがいいこと、やるべきこととか 一切アドバイスもないのです。
ただ そのアンサーとして皆さん一様に
「お母さん自身の体を大事にしてください。具合悪かったら、ちゃんと病院に行ってください。(←かなり強めに)」
「ひとりで抱えないでください。(←これもかなり強めに念押しで)」を、めちゃくちゃ言われました。
それで、ちょうど今日会った スクールソーシャルワーカーの方の
「お母さんってまあ、子どもがトラブル起こしたり躓いたときに『自分のせいだ』と思うものなんでしょうね、だいたいそうです。抱えようとするというかね。
悪く言っちゃうと『私が子どものいちばん大事な存在だ、ぜんぶわかってる』、っていう自負があるのね。
でもそうじゃないです。彼だって14まで生きてきたら家族以外の人にも会ってきて、いろんなものの影響を受けて今があるから。お母さんとは違う人格がある、別の人、個人ですからね。」
という言葉が いろいろと理屈でないと呑み込めない自分には 腑に落ちました。
自分はあまり母らしいことは出来ない人間だ、
子どもと自身の人格の分離は 出来てるはずだ…と思っていたのですが
シッカリと そんな「母親が勝手に背負いがちな『業』」だけは、握りしめていたのか。という思いです。
次にスクールソーシャルワーカーさんと面談するまでに、自分が病院(内科か婦人科)を受診するのが 当面 私がするべきことです...。