ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

2020年度大河ドラマ 『麒麟がくる』 が終わりました。最終回によせて。

大河ドラマ 『麒麟がくる』 ついに完結しました。

 

まずは...たくさんの不測の事態、障害があった2020年でしたが それらを乗り越え素晴らしい世界をそ作り上げて下さったキャスト、制作スタッフ、脚本の池端先生、本当にありがとうございました!!

 物語としては何度も描かれた時代を、朝廷・庶民・旧体制側の室町幕府などを掘り下げたことで、新しい魅力を感じました。いくつもの主・いくつもの組織の間で活躍した、明智光秀の視点だったから見えた景色がありました。

有名な戦国武将のまったく違う解釈もたくさん観られて楽しかったです。衣装も音楽も素敵だった。

 

予想もつかない結末に驚いて心かき乱されてたけど、どうにか咀嚼しようとしてます…まとまりませんが書いておかないと、熱が冷めないうちに…というわけで長いですが! 

(以下、最終回ネタバレあります)

 

www.nhk.or.jp

 

 

最終回『本能寺の変』 信長と光秀の交錯する感情

家康の饗応の任を解かれた直後、信長は十兵衛を試すように、またも無理難題の命令を突きつけます。

それは隠棲する将軍・義昭を殺せという、ますますエスカレートした到底受け入れがたいものでした。

もういい、そなたなど要らない! ひとりでやる! 天皇をも越える者になってやる! と仄めかすような言葉まで飛び出します(この言い方、今の信長の立場からすればとんでもない発言なのにどうにも駄々っ子の八つ当たりのよう…)

信長様は変わってしまわれた、と訴える十兵衛に 信長は「変えたのは、そなたではないか」と答えます。

それはまったく本当のことです。妻・帰蝶が言ったように、今の信長を作ったのは十兵衛の熱意と言葉。愛情に餓えた虚しい器だった信長に 「大きな国を作る」という目標を与え、渇いた承認欲求を満たす方法を教えてしまったのは、十兵衛自身でした。

 

作った者が、その始末をつけねばなるまい。

 

すべての秩序を破壊するまで止まらない者になった信長に、十兵衛はついに決断を下し 忠臣たちの前で告げます。

 

『わが敵は、本能寺にあり。名は、織田信長と申す。』

 

上り詰めるほど孤独になり、目指すものもわからなくなり、「十兵衛にも去られるかもしれない」という不安に怯えていた信長。

戦のことを考えず、子供の頃のように長く眠りたい… と願うようになった彼に、永遠の安息を与えるために 十兵衛は本能寺へ来ました。

もがき苦しんできた信長の人生のおわりに、最大の絶望と、最高の祝福をもたらす者として。

十兵衛も 『理を通す真っ直ぐさ』 という点で、信長に劣らない狂気の怪物です。(細川藤孝さん、ついていけなくても無理もないと思う…)

ただ一途に 「自分が信長を葬らねばならない」 と。彼が自ら負った使命でした。

 

謀反の兵が明智の者だと知らされてからの 信長の表情。涙を溜め、それなのに満足そうな笑みを口元に浮かべている。

そこからの 『十兵衛ならば、是非もなし。』

創作の本能寺の変につきものの「是非もなし(仕方あるまい)」のセリフ。

そこに付け加えて 「十兵衛ならば」 と言った。

 

待っていたのかもしれません、こんな日が来ることを。この日を早く呼ぶために、十兵衛を試すような行為を繰り返し 「わしをこのようにしたのは、そなたじゃ」 と言ったのでしょうか。 

  

楽しげに笑いながら明智の兵に応戦したのち 「火をかけろ、焼き尽くせ。わしの首は絶対に十兵衛にわたすな」と小姓に告げます。

今まで信長は贈り物として、皆に喜んでもらうために、敵の首を見せびらかすことをしてきました。

自分の首が十兵衛にあげられ誰かに差し出されることが許せなかった。ずっと十兵衛のものになるためには、完全に消え去ってやらなければならない、と考えたのでしょうか…(ここまで書いてきて、感情が重すぎるな!)

 

そして重荷を下ろしたような 眠るような顔で 赤ん坊のように丸まった姿で息絶えます。

   

信長の半身のような存在だった「明智光秀」も 本能寺の変で「魂において」死にました。

焼け跡の灰をすくう表情は もはや死に顔。やり遂げたという達成感はなく。

無二の関係だった人、一度は同じ夢を描いた大切な人を自らの手で殺した、深い悲しみがありました。

 

 思考停止ワードになってしまうけど… 痛々しいほど愛があふれてた。

 

最期に通じ合うための応答が 「殺してあげよう」「死んであげよう」 しかなくなってしまったことは悲劇だけど、お互いに大好きだったんだな。

 

愛し合って、そのために生きられなくなった者同士の 心中のような本能寺の変でした。

 

描かれなかった、明智光秀の最後

 

中国攻めから取って返して来た羽柴秀吉との戦に敗れ(ここはナレーションのみ)歴史から光秀は消えてしまうことになるわけだけど...。

 

本能寺の変から3年後。町の雑踏の中で 駒は十兵衛そっくりの面影の人物を見かけて追いますが、見失ってしまいます。十兵衛の姿をした者は、夕暮れの野に馬を駆けさせ去ってゆく。

このドラマの幕開けに 朝日の下を馬で駆けた「まだ何者でもない」若き十兵衛の姿を反転したようなシーンで、締めくくられます。

 

「光秀は生きていた。逸話に残る僧・天海となり、家康の補佐として泰平の世を作る未来を示した」というふうにもとれますし

「光秀は最後の戦で落ち武者狩りの手で殺された、あれは民衆がささやくうわさが駒に見せた幻である」ともとれます。

プロデューサーの言葉によれば 「観た人それぞれにお任せします」という、幕引きです。 

 

なのでここからは 完全に「私の願い」です。

 

上に書いたように、明智光秀は死にましたが 同時に生きてもいるのです。

 

「何者でもない者」へ戻り、やっと自由に軽やかに駆けてゆけるようになった姿なのだと思います。自分が天下人になるような覇道は秀吉に任せて。

 

十兵衛は麒麟そのものになった、のでは……。

 

世が平らかであってほしい という人の願いが姿になったものが麒麟なのであれば、ドラマを通して描かれた、その願いに向かってまっすぐに行動する 明智十兵衛光秀という人物像こそ、麒麟だったのでは? それは初めからずっと私たちの前にいたのではないか?

この物語を記憶している人がいる限り 十兵衛は麒麟として 世界のどこかで生き続けていくのだと思います。

 

…世の中 便利な言葉があって、「光秀は『麒麟という概念』になった」と表現しておられる方がいましたが、まあ、同じ思いを長ったらしく書きました。w

 

現代を映す鏡としての『麒麟がくる

染谷将太さん演じる信長について

もし20年くらい…もっと前の作品だったら 染谷信長の如き人物造形は非難を浴びたかもしれません。信長は父性的な存在。孤高で、厳格で、英雄然としてあれ。見た目も可愛いらしい童顔だし 「こんなんじゃない!」っていう声が多かったかもしれない。

 成人して社会的地位を得ても中身は子どものまま、未熟な欲求の満たされなさに苦しむ人間は案外ありふれているということ、それに振り回され死ぬほど疲弊する周囲の苦しみ。

それが心理学領域から、一般に認知されてきた時代において、ようやく受け入れられるようになった「愛を乞う、幼子のままの信長」だったのでは。

 

やっぱりすごく現代的な信長像だったと思う。

 

nekoana.hatenablog.com

  

陰謀論へのアンチテーゼとしての「本能寺の変」像

本能寺の変の動機各説も全部カバー、実質関係者全員黒幕、↑信長と光秀の特濃感情、光秀のその後の逸話 まで盛って…それが絡み合って、物語が破綻してないのがすごすぎた。

「ものごとにわかりやすい因果はなく、だれかひとりの陰謀・たったひとつの原因などないのだ。」ということを示してくれた、本能寺の変の描き方だったのではないか。

『真田丸』感想でもちょっと書いたけど 決定的なことが起きるときって、いくつもの小さな出来事の長い時間をかけた積み重ねで発露するもので、その結果得をした人間がいても、その人が黒幕だとは決めつけられません。

 

奇しくもこのネット上で、いくつもの『〇〇の真実』『隠されてきた××の真相』と銘打った、わかりやすく飲み込みやすい言葉がはびこる今。

 そして今年初め、『ある国の政治が不正に操られている』という『陰謀』論を信じた人々が大騒ぎとなる事件を起こして 驚いたところだったので。

 「持っている」ドラマは不思議と現実にリンクするところがあると勝手に思っているのですが、そんなことも感じました。

 

長谷川博己さんが美しかったよね...

こっからは煩悩まみれです。

 

演者ファン目線で、ほんとに始まる時は「蔵之介さん秀吉だ、ヤッター! 推し武将の官兵衛様は出ないかも(※最終回だけ出た)だけど秀吉チームだし観る!」と言ってた(過去ツイ掘れば出てくるはず)けど

 

回が進む毎に 長谷川博己………美………艶………凄………!」 ってやられてった……

 

あの……ありがとう、良い役者さんです…!(今頃)

 

とにかく長谷川さんが十兵衛だっだからこそ、ビジュアルと演技力双方で殴ってくる圧倒的説得力で物語が駆動したし、納得なラストシーンだったと思います!!

だってさ! 常の人ではなかっただろう、あの狂気を内に秘めた >>>>美<<<< は!!

  

ハセヒロさん、まあスタイル抜群ですけども、私は所作と手先に見とれてしまいました。

宗久の茶席での優雅な座姿、スッと芯が通ったしなやかな姿勢のよさ!

坂本城の絵図を見ながら火鉢の上にかざされる白くて長い指(寒そう)!

平蜘蛛の釜に掛けた布をサッとめくり取り秀吉を激詰めする言葉を吐きながら手元を見ずにスルスルッと畳む指先!

叡山焼き討ちの惨劇を思い出して顔を覆う震えを抑えられない骨ばった手の甲!!

 

(フェチなのはわかったからその辺でやめときなさい。ハイ…)

 

あの美しさからし麒麟と同族だから…妖精だから…アマンのエルフ(from指輪物語)だから ......いるべき世界に帰ったのだ…(妄言)

 

おわりに

織田信長が人々の思いを少しずつ集めて 『魔王』 という人心に爪痕を残す物語になったように、光秀も平らかな世を求めて駆けつづける 『麒麟』 になった、のです。

明智光秀その人こそ麒麟であった。麒麟は、あなたたちの胸の中に」 なんだと解釈しています。このドラマを観た私にとってはそうです。

  

麒麟がくる』よ、永遠なれ! 

 

来週からの『青天を衝け』、切り替えて観られるのか…? あまりに衝撃が強すぎてまだしばらく浸っていたいよ…。

 

そのうち補足を書くかも!

 

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