諸般の事情により年またぎで放映が続く2020年度大河ドラマ『麒麟がくる』、いよいよクライマックスに向かって盛り上がっています。
もはやネタバレ配慮するまでもなく 「やがて主人公は謀反を起こし主君を殺して自身も非業の死を遂げる」...という悲劇だとわかって観るのはしんどい。けど 「シンドイものをシンドくなるとわかって観ているのだ!」という了解があるので大丈夫 w
すべての登場人物が魅力的。衣装、セット、細やかな映像表現、すべて美しい。既知の著名な人物も新しい解釈で描かれていて、とても楽しい。最終回を迎えたら改めて総括したいけど。
さて、『麒麟』の人物造形で新境地を開き、既存のイメージよりずっと恐ろしく、不気味な『新たな魔王』像を提示したのが、染谷将太さん演じる織田信長です。
【キャストビジュアル 第2弾】
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) 2020年8月29日
織田信長(おだ・のぶなが)
染谷将太
#麒麟がくる pic.twitter.com/8gNoErYIVc
彼についてとくに語りたい、語りたくて仕方ないw 私の琴線に触れまくってしまう。
どう恐ろしいのかを「『存在悪』としての信長」という目線で述べたいです。
『麒麟』信長の行動原理は 徹頭徹尾 『皆に喜んでほしい!』 です。
権力への欲望はうすく、広くイメージされる「信長の野望」であるところの「日ノ本を統一支配する」という目標は明確ではないように見えます。(むしろそれは『麒麟がくる世を作りたい、それを為せる者に仕えたい』 という光秀が望んでいることです)
名君の素質? と思われますが 『麒麟』信長、壊滅的に歪んだところが2つある。
- 『何が喜ばれるのか』を汲み取る心がなく、自分勝手な施しに終始してしまう。
- 施しの見返りに、『褒めて!』と求める承認欲求のカタマリである。
とにかく褒められるのが好き!褒めてもらえるとさらに喜んでもらえるようなことを(どんな外道なことでも)凄まじい行動力で実行します。
でも褒めてくれなかった、ざっかけた言い方をすれば 「期待通りリアクションを返してくれなかった」相手からはたちまち心が離れ、興味も失せてしまいます。将軍や天皇に対してすら一貫してそうなのです。戦略的に必要だから、いけ好かないこともあるけど協力関係を維持しておこう...みたいな大人の計算を知りません。ふたごころなく「褒めてくれない人は、いらない」。
そんな承認欲求モンスター信長の原点は、自分を可愛がってくれず弟ばかり見ていた母です。
母代わりの存在を求め続け、愛情への渇きはいつまでも癒えることがありません。(この母・土田御前も弟が死んだ時、信長に面と向かって「おまえはいつも私の大切なものを壊す」なんて言い放ってしまえるあたり、息子たちに優劣をつけてしまうし、「モノ」扱いしていた。母子でよく似た歪みを持っていると思います)
母が与えてくれなかったものを求め続けて止まない「大きな子ども」になってしまった。
欲求を満たすために誰かを殺しても省みない残酷さ、飽きたオモチャに見向きもしないような態度 - そんな無垢な子どものまま成長してしまった信長を、周囲の誰も理解できません。この戦乱を生きる動力源が 大義名分でも権力でも富でもなく、承認欲求の人間がいるなんて。
そして信長は 「人はそれぞれ違い、別の意志や理想、好き嫌いがある」 ということも理解できないっぽいです。
人間、表の顔とは違う心、思うようにならない何かを飲み込んで バランスを気にしながら状況に適応しているのに、信長はそうした 「矛盾がない」 。ひとの気持ちの複雑さが汲めません。
自分は嬉しければ笑い、怒ったら唸り声を上げ、悲しかったら泣くのに。周囲の人間はまったく表現してくれない。
信長のことを皆が「わからない」と言うけど、信長のほうも、人のことがわからなくて 「なんで??」と思ってる。将軍や天皇が意のままに動かなかったり、家臣が叛逆を起こすと、不思議がってしまいます。
「皆のためにしているのに、なぜ喜ばれないのだ?」と。
とても、さびしい。
でも現代におき変えると イメージしやすい人物像かもしれない。
自分は認められていない、認められるべきだ という 欲求不満を持った人が、手軽に発信できるメディアなどの場を得ると 過剰にさらけ出し、あるいは信じた対象に尽くし、入れ込み、求められるまま過激になってしまう。
そうせずにはいられないような心理も、わかるように思います。
時代劇の、歴史上の人物というワクだと、違和感ありまくりの信長だけど そのワクを外してみると 「こういう人けっこういる...」と思います。私などは「自分に似たところがある」とさえ感じています。
こんな「褒めて」以外ほしいものがないモンスター信長に 「ともに大きな国を作りましょう!」というビジョンを、でかすぎる承認欲求エネルギーを注ぐ流路を与え(てしまっ)たのが 明智十兵衛光秀です。
信長と光秀は 「大きな国を作る」というそのほとんど1点のみで結びついています。
これほどに乱れたシステムを根底から一掃し作り直すという光秀の理想は、将軍家の再興・室町幕府の再建では、かなわなかった。後はモンスター信長の力を御してそこに向かわせるしかない…。紆余曲折を経て、光秀は決めました。
あと、信長はすごく個人的に光秀のことが好きです。光秀もまた モンスター級に裏表のない(「マジレス蛮族」と揶揄されるほどのw)決して嘘をつけない性分なので、人の「わからなさ」に戸惑い怯える信長に、信頼と安心を与えてくれるからです。
母親のように甘え頼っていた帰蝶も疲れ果てて去ってしまい、孤独を深める信長にとって、唯一と言っていい慕わしい存在です。
そういう関係に、なってしまいました。
時が流れ、織田家の組織が大きくなり 支配域の拡大とさらに戦が拡大する中で、信長とのズレも徐々に露わになってきています。
「決して嘘をつかない」 という信長のお気に入りの頑固さも、光秀の人生の師にして親友・松永久秀が命と引き換えに仕掛けた「罠」によって、揺らいでしまいました...(松永どのの最後、カッコよかったねぇえええ~!!!)。
何よりもう 日ノ本の富と武力の頂点に上りつめんとする信長を褒めてくれる人など、どこにもいなくなってしまいました。
こんなにも野望や理想からは程遠い、幼い心のまま、ずいぶん高いところまできてしまった。
もう彼は むかし父から 「都の帝よりえらいのは、お日様だ」 と教わった、その日輪のように輝く、高くそびえる城を建てて住まうしかないのですね。ひとりでさびしく。
自分ではその先どこへ向かうかも、どうやったら降りられるかも、わからなくなってしまった高みで。
そこから力ずくで引きずりおろしてくれる者が現れるまで。
残り数話なのに、まったくどうなるか読めませんが あくまで私個人として...
『自分が目覚めさせ育ててしまった怪物を 命を賭して葬り去る、本能寺の変』 なのかなあ。
と、当たりもしない空想をしております。
...さんざんぼろくそに書いてきてしまったけど。