ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

「『表現の自由』の守り方」 を読みました。

夏の参議院選挙に立候補した、山田太郎氏の著書 「『表現の自由』の守り方」を読みました。

以前の記事で(自分の二次創作に限って、ですが)私の現在の考え方 ー 著作権について、匿名の意見から考えたこと、個人の趣味として許される表現の範囲、などを書きました。

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上の記事を書くにあたり しばらく調べていて、「TPPによって著作権違反が非親告罪化するかもしれなかった」時に問題点を挙げた議員が、この本の著者の山田太郎氏でした。そこから芋づる式に、山田氏の他の活動・業績を知ることになりました。

 私に都合の良い解釈ばかり、ひいきの引き倒しで持ってくるのは良くないと思い、実際に法律が出来上がっていく現場の第一線にいらっしゃる方がどんな仕事をしていて、今表現(特にアニメ、漫画などのポップカルチャーと呼ばれるようになった周辺の)に関して、日本の政治がどんな方向に向かって行こうとしてるのか、を知りたくて、この本を手にとりました。

冒頭の短編、『有り得た西暦2020年』の架空の漫画家の受難の物語は 私のような「あまりお行儀の良くない」ものを描く者にとってはホラーでした。ここだけが創作(いまのところは…)で、あとは事実を書いています。

山田太郎氏は現在は在野の方ですが、7月の参議院選に再度立候補し、現在活動中です。前に議員だった期間の仕事についてまとめたのがこの本です。また、リアルタイムでご自身のtwitterとLINEアカウント,動画配信などで発信されています。そちらでは漫画村などの海賊版サイトの問題、スクショ違法化、SNS児童ポルノガイドライン策定など、その時々の問題にも触れています。

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国会で行われている議論の多くが、最初から議論のための議論、政治家同士のただのイデオロギー争いになってしまっていると感じます。
しかし、だからこそ私は、そうした議論ややり方からは一線を画していきたいと考えるようになりました。
本当に大切なのは、閣議決定、大臣の言質を取る、法律を作る、修正する、附帯決議を付ける、責任者に記者発表させる…...などの明確な形でもって、目的を勝ち取ることです。決して、国会の場で政府や与党を潰すことではありません。《はじめに》

とかく「何も進展しない、揚げ足取りだけ」「野党がやじってばかり、与党ははぐらかしてばかり」という印象の国会議員の皆さんですが…山田氏はその中でキチンと具体的な成果を上げてきた方なのだなあ、と知りました。地道なことに注力しているので決してセンセーショナルに報道がされないのはとても残念ですが…

描写が過激な作品には 児童ポルノ禁止法、
私が好きなパロディ・二次創作作品にはTPPの知的財産分野の著作権非親告罪化、
両方それぞれに 規制が可能になりそうな法案があり、すんで決まるところだったと、改めて知りました。(これらはブロッキングや「青少年健全育成基本法」などに形を変え、今後も再び規制の方向に向かうかもしれないものです)

「山田さんが議員としてあの時あの委員会にいなかったら、事実上発禁になったマンガ、開けなくなった同人誌即売会があったかもしれないんだ…」とゾッとしました。
私たちの好きなものに関わるルールが 実情を知らない人の、「刺激的・衝撃的な表現は見た者の行動に悪影響を及ぼすに『違いない』」という「印象・心象」によって作られる・変えられるのはとても怖いことです。

それを水際で食い止めた(大どんでん返しではなく地道な資料集めとトップ政治家の言質で)山田太郎氏に、
「これは、私のような二次創作を読み手として書き手として好きな人間は、感謝しなければならない方だ…」と思いました。

 

 「表現の自由」について 私が思うのは。
私の描くものだけが特別扱いされたい、ワガママに出来る自由がほしいと求めているわけではありません。
書いたり、言った物についてはいつでも責任が伴います。

自由を望む ということは 私の好まない表現を好む人でも、また私の表現を嫌いな人でも、
性的描写や暴力的表現があっても、あなたも誰でも、発信したいことを発信できる社会であってほしいと願っています。

私はそういう、苦手なものがあると知っているけど、わざわざ見に行ったりしません。苦手なものを見に言って 文句をつけるのは言いがかりです。
ましてや「正しい / 間違っている」という基準で、公開してよいものかどうかを、作り手ではない「第三者」が、ジャッジしてはいけません。

あなたも、こいつは気に入らないな、と感じるものからは距離を置いてかまわない。
お互いに「ほうっておく」自由があります。

 

 いろんな考え方が認められ雑多に並存している。影響しあったりしながら 多様に・ゆたかにあるのは、これから作られる作品のソースとして、幅のある中から生まれてくるので、おもしろい作品のゆりかごになります。何より単純に、そういう世間のほうが居心地がよい。

居心地がよいだけでなく「権力の暴走に強い」社会だと思います。

『言いたいことが言えない国は、戦争が出来る国になる』

と 私は思っています。いや、信じています。戦争の前段階として、権力にとって都合の悪い表現が規制されて行きます。(これから放映する大河ドラマ『いだてん』の昭和パートで、戦争に向かう時代の表現の弾圧が扱われる、ハズです。きっと)

体制側が直接「ダメだ!」と言わずとも「好ましくない」ことを示すだけで 「お上の意向」に忖度し「自主規制」という形で、何となくこれも受け入れられないのではないか、言ってはマズイのでは...という「空気」が 醸成されていきます。

この「空気を読んで、問題になる前にやめておく」というのが、たいへんにクセものの心理だと思っています。

大戦中には野球の審判の判定までが 「敵性言語を排除しろ、日本語で言え」なんて、現在からしたら笑い話でしかないけど、忖度に忖度を重ねた結果、滑稽なこともマジメにやらざるを得なくなってしまった、実際になってしまった例の一つです。100年も昔ではない頃のことです。

洋楽を聴き、共産主義について書かれた本を持っていただけで「敵国の文化・危険思想に染まっている」と言いがかりのような罪を被せられ 命を落とす人までいました。

そんな時代が永遠に過去のものであれば良いのですが、人間の? 日本人の? 性なのか、政治のシステム上仕方ないことなのか…油断するとその頃に逆戻りしそうな気配があります。

 

全員が右向け右をしない、させられない「バラバラさ」が 平和を担保している。生命の保証にもつながっている。

私が好きなどのマンガもアニメもゲームも、そうした表現の自由の恩恵を受け、ある種の「ゆるさ」に支えられて発展してきたのだ、と思います。

 

 好きなものを見たり読んだり、そこから自分の考えを持ったりできる、当たり前の権利を守るために、個人として出来ることって何だろ? って考えたのですが、今思うのは

憲法改正や、法律や条例など「上からコントロールできる」ものに対抗するには それにNOと言える、自分たちの意思を代表する人を選挙で選び、決定機関である国会に送り出さなくては...、と思います。「選挙行って投票しよう」ってことです。それって権利の行使で、なにもむずかしいことじゃなくて。ある年齢に達している人なら、誰でも出来るいちばん簡単な意思表示ですね。

 

私はどちらかと言えば あらゆる政治活動に関わること、思想を持った人同士で集まることが、ぜんぶ苦手です(賛否ありますがデモなども参加したくないです。生身の人と関わるのは、酒でも飲んでなきゃ、怖くて出来ない欠陥持ちです)。

直接、手やお金を使って特定議員・候補者の活動の支援をしたことがないです。

でも親の影響で 投票だけは、選挙権を得た歳から棄権した事はない。これはちゃんと続けていきたいと思います。

 

もしあなたが投票に行ける年齢で「どうせ誰に投票しても何も変わらない」「誰を選べばいいのかわからない」…と思ったときに、今年の参議院選挙に立候補する山田太郎氏は ひとつの選択肢かもよ? と伝えたいです。

taroyamada.jp

政治には関心がないままでいたかったけど、ここ最近の、自身の経験から「自由に書いたり描いたりしゃべったりする世の中であるためには、こりゃ無関心ではいられないなあ」と痛感したからです。

 

 すごく身近な、好きなものを守る具体的な手段として 政治も関心を持って行きます。

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