ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

『流線形の考古学 速度・身体・会社・国家』 読みました。

 図書館本。講談社学術文庫は読むのメチャ時間がかかる...(文字組がギッチリ、ページ数に対してボリュームが多い)うえに難しかった...噛み砕くのにアゴの力が要るような、内容でした。

 

「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」 などという 与党議員による差別発言(あれははっきりと差別である)が波紋を呼ぶ昨今

意図せず、タイムリーに 「科学の用語・概念が 政治に利用されていく過程」を、丹念に追った評論を読みました。

手にとったキッカケは、やっぱりtwitterだったと思うんだけど…だいぶ前なので どうしてそのツイートにたどり着いたのか思い出せないです。とにかく興味を惹かれて。とくに、「流線形の話なのに、表紙にナチス親衛隊の写真とは??」 と思ったのが大きいです(読めば納得でした)。

 

 

高速移動を求められる駆動体が、空気抵抗を減らし燃料を効率よく使うために考えられた、それのみにすぎない形だった、「流線形」。

そんなことばが 20世紀初頭、高速鉄道や自動車の普及と、大量消費文化の広まりと共に、雑誌の記事・広告などを通して一般の人でも知っていることばに変わってゆく。

短期間に「ムダを省き、効率的である」ことをアピールしたいもの  ー商品、人間の身体、果ては 思想や主義、へと拡張され適用されてゆく。

 

今で言う「流行語」としてライトにもてはやされるうちに(後の人間からみれば、ゾッと寒気が走るような)「優れた生物学的形状」、「人類が目指すべき、ひとつの理想のありかた」があるのだ...として提示される、つまり「優生学」の称揚・一般化に、利用されていく。

 

のちの第二次世界大戦中の悪夢、生命選別の時代への道を、まるで科学がそれを正しいと裏付けてくれているかのように、錯覚させ、舗装してしまったのが、この一見豊かでエネルギッシュな、流線形を持てはやした科学信仰の時代であった、と...。

 

読む前に思ってた以上に、恐ろしくて、気持ち悪い内容で...でも、読んで、知ってよかった。

科学的、と言われるだけで 何となくイメージで正しいように感じてしまう、おちいりやすい罠とか。人間はこのようにことばを、拡大解釈してあらゆるものに適用してゆく傾向を、持っているものなんだ。とか。

いまも起きていること。意識的になりたい、と思いました。