ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

百花春至為誰開

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花と主従。

書き下し、『たがためにかひらく』 だったかも...スイマセン。スマホにメモッてあった禅語です。なんとなく、今の季節・この時勢に聞きたい言葉だなと思って。

 

地球上でまた新たな戦争が始まってしまったことに、ダメージを受けてました。
痛ましい状況を伝えるニュースに触れるのがつらいのもあるけど、それ以上に、自分が嫌になる、という方向へ気持ちが向かっちゃってた。

私は戦争反対って言えなかった。迷いなく戦争反対と言えないのは、日本が過去の過ちを忘れて再び戦争をしかけることができるような、その欲望を隠そうともしない体制の国になりつつあるというのに、何もしないでいる後ろめたさと(この機に乗じて、憲法改正したほうがいい、核を持った方がいいなどと言う発言が、政治家や首長から出てきたのは本当に恐ろしいことです)

自分自身が、自己中心的な、攻撃的な性格やものの言い方を普段からしていて、いわば「小さな戦争」を起こしてるがわの人間なのです(ケンカが激化したり長引いたり、決定的な決裂が起きてないのは、周りの人が冷静で優しいおかげ。)
いやほんとに。オンラインの自己イメージなんていくらでも見栄え良くしようと思えばできてしまうわけで、私がこうして書いて見せてるのは、都合よく美化した部分なんですよ。

「私が、どの口で戦争反対なんて言えるんだ...」 という気持ちでした。
「まったく平和をもたらす人間じゃないのに、国とか世界とか大きな平和を願ってもいいのか、それを口にする資格はあるか」みたいなことに、皆さんはどう折り合いをつけているのだろうか? と考えていました。

 

それで、それを投げかけたところ、

『どんな願いも自分のためのものなので、折り合いをつける必要はないと思いました。』


『女性が好きなことをずっとやめずに続けること自体が日本ではすでに抵抗であり反戦の意志表明につながっていると思います。』

 

『願ってOKと思います。どんな人にも願う権利があり、願いは自由です。ましてや人を傷つけないための願いなのですから。』

 

と、思いがけずたくさんの、ピシっと背中の伸びる優しさにあふれたコメントをいただいて嬉しかったです。

ちょっとずつのはげましというか、言葉を積み重ねて、ようやく私は「すべての戦争に反対します!」と言えるようになりました。


あとそれとまた別に身近なイベントや変化にも、こなさなきゃいけないいつもの雑事にも疲れていて、いっぱいいっぱいな中で、メルマガで届いたオンラインカウンセリングをなさっている方の記事に、ホッとしました。

 

note.com

 

 「関心を失わず、心を守る方法はきっとあると思います。
明日の自分が、これから先の自分が、現実を生きて、現実を見つめるために、今は少し休もう、を選んでください。

そしてまた祈ったり、嘆いたり、怒ったり、声を上げたり、思ったり、知ったり、そういうことが出来るようになっていくのだと思います。」

 

11年前の震災のことも思って、「あの人たちは亡くなって、私は何で生きてるんだろうか」「あの国や、あの町に生まれなかった人と、自分を分けたものは何なんだろうか、のうのうと生きていていいのだろうか」なんて、考えても詮ないことに、とらわれてばかりです。

ちっぽけな一人は、目の前のやるべきこと、やりたいことに打ち込んでいくしかないんですね。