当時、神戸に住んでいて被災して、
就職でこっちに来たという同年代の知人がいるのですが、
何かいいことを言うわけではないけど、やることがひとつずつきっちりしてる。
なんというか、しゃんとしてる。
例えば、ワタシが「あ~あ、めんどいなあ」と言うとき、その人の
「でも、やるんだよ」と言う言葉に、すごく重みを感じる。
あの時、友達はそのめんどくさいこともやりたかったことも、
何の未来に触れることも出来ないまま死んでしまったから。
生き延びた自分は、その人の分まで何でもやってやろう。そんな感じがする。
今、新潟のおじの家は雪に覆われていますが、家の修繕は済んでません。
おじの家は、奥さんの実家が大工なので無理を言って直してもらうことも出来る。
でも、おじ夫婦は「うちは当分住むには困らないから、
もっとひどかった地域に行ってあげて」と言ったそうです。
もし今ここに大地震が来たら、神戸や新潟の人たちほど支えあうことが出来るかな??
年中気候が良くて、日本一住みやすくて、なんとなく生きていけちゃう
千葉原住民は根性がふやけてるから・・・
余計、かっこよく見えてしまうですよ;
所詮当事者ではない自分が何を言っても
言葉が上滑りになってしまうような気がするけれど、
そういう身の回りの人たちを見ていると、
いつ失われるかわからないこの平凡な日々を大切にして、出来る限りがんばること。
今日も自分と、自分の大切な人が元気だったことに、感謝して生きること。
それが災害で亡くなった人たちへの鎮魂になるのかなあ。と思います。