ゆうべ怖い夢見て叫んで、家の者を起こしてしまった...たまにある...
町内会の敬老の日の出し物で使う絵を描きました。「月の沙漠」のラクダです。色は娘が塗った。
自分の誕生日=結婚記念日の、ドアノブ家です。子どもたちも成長しました。
赤の他人が一緒に暮らしてここまでやってきたというのは、「好き」「愛がある」では収まらない わけのわからない、「何か」なんだと思います。
ちょうど北海道へ行く少し前、あまり精神的に良くなくて、ダンナさんに対して「私と結婚して何の得がある? 私よりキチンと家事も育児も出来る女の人はいくらでもいるのになんでよりによって私?」と、わめきました。(これが初めてではありません。何度も言ってます)
「得があるから一緒になったわけじゃないから。まあ『覚悟』かなあ」と仰るので、スゴイなと思いました。
私は何の覚悟も無く、親から離れたかっただけです。彼を利用したのです。結婚したい動悸はハッキリしていたけど、前向きでない上にひどく利己的でした。
「このひとなら(長くひとつところに勤めていて一定の収入があるので)とりあえず経済的に逼迫することもなさそうだ」という、計算もありました。
まさに「この人と結婚すると良いことがある」「損得勘定」が、そこにありました。
こんなふうに、私にとって 結婚のキッカケは確かに「損・得」でしたが「それで子どもが2人小学校に上るまで、変わらない気持ちで夫婦を続けられたのか?」と言うと、そうではないように思います。
ダンナさんは、私の感じ方では「いいひと」ですが、それは私がたまたま気にならないだけで、今まで彼と付き合ってきた人の言葉を借りれば、彼は「おとなしいのにものすごくガンコ」で、クセのあるムズカシイ人物らしいです。
私のほうはというと「極端で現実ばなれした思い込み・ムダな生きづらさ・困った行動」などがあります。仲良くなれたとしても、私の「不安が強くて、親しくなった人を振り回して試そうとする」傾向に気づき、呆れたり、疲れたりして去って行った人がたくさんいます。
続けられなかった人間関係がたくさんありました(男女問わず)。
それをそのままにして そばにいたのは、彼しかいませんでした。いや、彼がどれだけ私に傷つけられガマンしているのかは、他人なので計りようがなく、
尋ねても答えてくれませんが、ただ「まだ別れてはいない」という事実だけが、あります。まだ彼の「覚悟」は有効なようです。
夫婦どちらかが「劇的に努力して性格を変えた」とか「歩み寄った」とか「ガマンしている」とか、そういうわけもないのです。基本的にふたりともガンコだから変わりません。
それが幸運かどうかもわからないです。ただもう「お互いに他に二人といない相手」として そのようになるべくして生まれてきちゃったんじゃないですかね...?
「割れナベに閉じブタ」が、いちばんシックリ来るかもしれません。
「この人のこういうところが好き」と言葉で説明できる関係であったら、こんなには続いていなかったと思います。
その好きな部分が、もし失われたり、演じているものだったとしたら、その人と一緒にいる意味はなくなってしまうからです。
夫婦に限らず、長く続く人の関係って、意味や根拠なんてわからないほうが、わからないまま続いていくのかなあ、と思いました。