ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

震災から二年目に思うこと

まずは、

日本じゅうすべての人に ただ当たり前の他愛ないことで笑える日常が はやくもどりますように。

2年前の3月11日、ワタシは通院していた精神科のクリニックから帰るバスの中で最初の大きな揺れに遭いました。

何とか歩いて家にたどり着きました。家や職場はモノは荒れ放題になりましたが 人は無事でした。

直後は妙なテンションになって、むしろ元気が出たくらいでしたが

やがて間近で起きた工場の爆発と、ニュース映像と、余震と、計画停電の暗闇と・・・と

日を経るごとに次々起こること見るもの聴くものに怯えたり、オロオロしたり、ボーっとするだけでした。

1年前の日記を読むと「思い出したくない」「でも、出来る範囲の支援をしたい」というようなことが、書いてありました。

きっとまだ恐怖感があったし、また当時の自分の状態があまりにも情けなくて恥ずかしい・・・という気持ちが強かったんだと思います。

2年たった今は、「忘れたくない」「風化させまい」という思いのほうが強くなっています。

2年の間に、住むところも家族構成も変わりました。震災はそんな、変化のきっかけを準備していたような・・・。

「自分にとっては」ですが、天災ではあったけれど何かの意味があって、

ワタシの心身を揺さぶって生活を切り替える決心をつけさせた、節目のできごとだったように感じます。

それに震災直後にすぐ、個人的にたくさんの励ましのメッセージをもらったことは絶対に忘れられないです。

ひとりじゃホントなんもできない、でもひとりじゃないんだというのをヒシヒシと感じました。ありがとう。

でも「震災から学びました」とか、「人の温かさを、絆を知りました」なんてのは。

少し離れた場所にいて、今が無事だから言えるんですよね。

深刻な被害を受けた被災者の方からしたら、キレイごとなのだ。とも思います。

「今すぐにでもあの日の前に時間を巻き戻したい。あの暮らしを返して。あの人を返して。」

そういう多くの人たちの前に「忘れない」「教訓にしよう」という言葉は何てデリカシーのない残酷な言葉だろうか。

それに、非常事態の中で露わになったのは人の暖かさだけじゃなく、ずるさや汚さや偏見、や怠慢もあって。

そんな「人災」のほうが、長い時間たった今は深刻なんじゃないか、あるいは深刻になっていくんじゃないか・・・と思います。

考えるとますます、無力を感じるけど、それでも今、自分に出来ることは忘れないことなのだろうと思います。

「忘れたくない」と思った人から忘れずに、これからに生かしていけばいいと思うのです。

今も悲しみの中にいる人、時間が止まったままだと感じている人に、早く立ち上がれ前を向けと言うのではなく

それだけ大きな傷を負ったのだから、どうかどうか苦しみを忘れるまで休めますように、

そして健康に、この先も続く人生を長く生きられますように。と願わずにはいられないです。

「当事者である・ない」 の壁を越えて、共感するとか 寄り添うって、どういうことなのだろうなー・・・。

と、デリカシーのなさにかけては一級のワタシは悶々と考え続けるのでした。