ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

『誠実なテレビについて』について

日テレの土屋氏が書いているコラム『誠実なテレビについて』の、

6月17日付(第359回)の記事に、ほわ~っと、心があったかくなるような言葉があった。

少しだけ引用させていただきます。

こっそり書いてます、と仰られてますが・・・とっても良いサイトだなだと思うので、やっぱり、誰かに知って欲しい。

 

(前略)

”毒を吐く”人がいます。

電波少年」はブラックだ,毒を吐く番組だ!と言われた事もあります。

いい気になってそんな事をしてしまった事があるかもしれません。

でも「吐かれた方」は間違いなく”弱ります”

「吐いた」方の想像以上に”弱ります”

「吐いた」方は「言ってやった方が彼のためなんだ!」と善意のつもりの行為だったり

愛のむちだ!」と正義のつもりだったり

「ああ、すっきりした!」というストレス解消だったりするかもしれませんが

「吐かれた方」のダメージは意外と大きいものなのだと思います。

そんな事より「好きな人に”好きだ”」と伝える事。

「面白かった作品を作った人に”面白かったです”」と伝える事。

この事ができる事はきっと幸せな事だと思うのです。

(後略)

個人の心の中に「毒」をもつことは止められない。

わたしにも、なぜかムカムカすることや、どうしても許せない対象は、たくさんある。

仏様じゃないから。

ただ、毒を抱えることと、毒を吐くことは、分けておきたい。

「毒」を他人にわかるように表現したときに、

当然はね返ってくるであろう、泥をかぶる覚悟がなかったり、

毒を浴びてしまった(と感じてしまった)相手と同じように、自分が傷つけられるのがイヤなら、

最初から毒なんか吐くのはやめてくれ、と言いたい。

(ちょっとキレイごとになっちゃうけど)自分はしっかり防御した上で、

反論を許さない状態で暴言を言いっぱなしなのは、やっぱり、卑怯。

それに毒を吐くのは、ホントは本人にとっても、怖いことなんじゃないか。

簡単に誤解されるし、じぶんの持っている暗いドロドロした部分を、さらけ出すことになる。

そこは本人も気づいてない、弱くてもろい所かもしれない。

腕を骨折してるのに、わざわざ痛い手で人を殴りに行ってるように、傍から見えたりする。

茶化すような「イタイ」ではなく、痛切に「痛々しい」・・・って、思う時がある。

今まで言ってしまったことはもう消せないけど、これからはなるべく、毒をそのまま毒として、

吐き出さなくても済むようになっていきたいと思う。

ワタシには大好きなものがある。大好きなものがあることを知ってる。

それなら自分にとって心地良いもの、幸せな気持ちにさせてくれるものの方向に、アンテナをのばして、

惜しみなく拍手を送って。

楽しい顔をして、ほんの些細な嬉しかったことを、敏感にひろって、

自分の周りの人にも、楽しい気持ちをたくさん伝染させてあげられるようにしたい。

そのほうがいい。絶対、イイ。

グワーッと吐き出す前に「なぜ、それが嫌いか」を焦らずに考えたい。

抱えてしまったムカツキを、離れたところに置いて、冷静に見たい。

誰かを嫌な気分にさせないためと言うよりは、まず自分が楽しく過ごせるように。

自分の持った毒に当たりたくない。

とらわれ続ける必要はないんだ。

昨日のワタシの「嫌い」を、明日も持ち歩かなきゃいけないなんて誰も決めてない!

縛ってるのは自分だけだ!!

・・・土屋さんは文章のプロではないから「今日は何言ってるかわかんないな」とか

「今日は調子が良かったんだな」とか、とてもムラがある。そこが人間味があっていいのだけど。

特定のテレビ番組や視聴率に関して書かれてる時は、ちょっと遠い世界だな、ってよくわからないことも多いんだけど、

「ものづくり」する人の試行錯誤に関して話してるときは、読んでてよくわかるような気がする。

ウソだっていくらでも書けるだろうに、いつもキレイにまとめられないまま、本心に近いことを書いちゃってるのは、タイトルどおり「誠実な」人だからなんだろうなー、と思います。