ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

喜怒哀楽すら操作されてるんだろうか

尼崎の脱線事故から時間が経ち、死傷者の数がほぼ確定して

事故前後のことが報道の中心になり始めると、

ソレっとばかりに『JR西日本はこんなに腐ってる! さあ怒りましょう!!』という報道が多くなってきて、

確かにあんな危機感のない組織じゃなければ、こんな多くの人命が失われることはなかったのだ、それは絶対確かなのだけれど、

『なぜ、この事故が起きたのか』

『これから事故を二度と起こさないためにどうするか』

という大事なことが、影に隠れてしまいがちでイヤだなあ、と思う。

ふだん仲悪そうな放送局どうしが、こぞって変わり映えのしない内容を繰り返し、

JR西日本叩きに走るのを見ていると、

事故を利用した「みんなで怒ろうキャンペーン」をはってるようで、

で、まんまとそれに乗せられて、腹立たしい気分にさせられてるようで・・・

JR西日本の内部の問題そのものより、メディアのほうに腹が立つのです。

JR関連会社に勤めてる人やその家族なんか、この報道のせいで相当ひどい中傷を受けたりしてるんじゃないかと思います。

その人たちも被害者ですよね。

あと、インタビューを受けた人たちが口々に「信じられない行動だ」と言っているけれど。

ワタシの会社、ワタシの家族、その中に事故や事件の火種がないと言い切れるか?

毎日覚悟を決めて、しっかり危機管理して、仕事をまっとうしてる人がどのくらいいるだろうか?

どこの組織も、誰でも、ホントは似たり寄ったりなんだよ。JRだけじゃない。まだ運良く大事が起きてないと言うだけで。

「あいつらが悪い、私たちとは違う」という考え方は、そう思い込むと一時的には安心出来るけど、

それは何か違うー! と思うのです。

遺族の方たちだったら、もちろん事情は全然違う。

想像することしか出来ないけれど・・・

今はどうしたってめちゃくちゃ悲しいし、憤るしかない。

かわりにJRのえらい人をまとめて死刑にしろくらい言ったってかまわない。どんどん。

今は、そうするに相応しい時なのだと思う。

マスコミもそういう遺族の皆さんの気持ちを代弁しているというなら、わからないでもない・・・かな。

だいぶやりすぎだけど。

ただ、この「憤りの時期」を過ぎたら、「死んだ人は帰ってこない」という事実と向き合う時が来る。

何年先かなんて、誰にも決められないけれど。

どんなに頭を下げても、事故を再発させないこと以外に加害者側は償う方法がないと思う、悲しいけど。

毎日「死んだ子の命を返せ!」と叫び続けていたら、その人自身が生きていけない・・・。

ずっと恨みを抱いて生きていくのは、怒りが怒りを増幅してますます苦しいんじゃないだろうか。

しつこい糾弾報道を、自分に向けてえんえん流し続けるようなものじゃないか。

・・・と考えてみても、他人のたわごとにしか過ぎないんだよね。

冷たい正論しか言えなくて、ごめんなさい。

もし自分の大切な人が事故に巻き込まれて死んだら、

ワタシはその死と、起こったありのままのことを受け入れることができるだろうか・・・。