ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

3年と、「ともしび」。

花写真

 

職場(店舗)のBGMが気持ちイイ曲だなーと気になって調べてみたら、orange pekoeというユニットの曲だとわかって、アルバムを取り寄せて他の曲も聴いてます。

このorange pekoeのサイトにあった「ともしび」という 東日本大震災の直後に作られた祈りの曲が、すごくよかった。「この曲が出来たリアルタイムではなく、3年たった今このときの、この精神状態で、出会うべくして出会った曲だなー」と思いました。

 

 

歌詞を引用させていただきます。

とどけ この地を 去りゆく人へ

この地に 残る人へ

とどけ この地を 愛する人

 

とどけ この地に 生きる人へ

この地を 守る人へ

とどけ この地を 愛する人

シンプルな言葉。

この歌詞の「この地」は、被災地だけじゃなく、いろいろな言葉に置き換えられると思う。

今まで拠り所にしていたもの、好きだった人、自分が身を置いていると感じる、様々な意味での「ここ」に。

そうするとこの歌にこめられたものは、被害を受けた方たちだけでなく

誰にでも、あてはまるような気がする。

 

「ここに留まろう、続けよう、取り戻そう、帰ろう」 とする人の力ってすごい。

「方向と方法を変えよう、違うやりかたで出直そう」 とする人も、また素晴らしい。

大切なのは どんな行動にも 優劣をつけないことじゃないかと思う。

それと、留まる人と、去る人の間に(間で) ミゾをつくらないこと。

どっちの選択が正しいわけでも間違っているわけでもなく、

どちらが早く立ち直るかを、競うようなことでもなく。

それぞれ方向や持ち場は違うかもしれないけど 必ず何かを生みだしてるし、進んでいるから。

お互いに、またすべての人のがんばりを 認めあってねぎらっていけるような、そういうこの後の数年であればいいな、と。

なにより大事なのは「ひとりにならない」「閉じない」で「つながる」ことかなぁと。

 

振り返れば、直接の被害を受けなかった自分にとっても 震災は大きな心のターニングポイントだったと思います。

大きく揺り動かされた後、なくしたもの得たもの、出会った人去っていった人、いろんなことを思い出すのが今日です。

 

NPO法人遠野まごころネットのボランティア活動に参加して、岩手県大槌町へ行ったダンナさんからのおみやげの本。ようやく読んでます。

テレビの映像ではもちろん、ネットで垣間見えるものもほんの一部だった。知らないことばかりで恥ずかしくなった。

自らも家を流されながら避難所で世話役となり、その後ボランティアの組織作りに携わった人々の、生の体験談とか。

『災害の中でも暴動や略奪が起らない日本』という美談。確かにそうだったし、それは誇れること。

だけど、決して「まったく悪事がはたらかれなかった」わけではないこと。

ボランティアの中にも、目的を違えてしまった人、家や家族を失った人々への想像力がどうしても欠ける人も、たくさんいたこと。

「やってあげる」意識ではわからないこと。一緒になってやること。自立への道をさぐること。

「いったいどこまでを、なにをもって「支援が終わった」「復興を成し遂げた」と言えるのか」という、問題提起。

震災がなくても、どこに住んでいても、やがて表れるであろう高齢化がすすむ地域の問題の、掘り起こしと共有と取り組み、とか。

いろんな情報が、感情が、ギッシリ詰まって押し寄せてくるような内容でした。

(まだ読み途中なので、メモ書き)

 

具体的に何をするか・なにができるかというのは あえて 今日の記事には書かないでおきます。

何も信仰を持たない身で 祈る、というのは 基本的に自分勝手な、自己満足な行為ですが。

こうありますように、心安らかにいられますように、と願うだけで 何か実際に手を貸すわけではないから。

でも では実際に手を貸す、行動するというのが すごくありがたい、褒められる事なのかと言うと やっぱりそれも

トンチンカンだったり、余計なおせっかいだったり 押し付けがましく受け止められたりして

結局、人の為すことは どこまでも「自己満足」のオリの中から出られないのかな とか。

ぼんやりと絶望感に包まれたりもします。

相手とワタシは違う人間で 何がうれしくて、何がいやなことなのか 全部わかることはできないから。

 

それでも、心配だったり、元気でいてほしいなと思ったり。

家族が現地へ行って、お手伝いすることができたのも何かの縁ですから。

「みんなみんなが、ごはんがおいしく食べられますように。夜、ゆっくり眠れますように」とか、ただ、そんなささいなことを。

(まるで自分に言い聞かせてるようだけど。)

 

同じ自己満足であるならば。ただただ。祈ります。