ドアの猫穴

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『軍師 黒田官兵衛伝』第4巻を読みました。

遅ればせながら『軍師 黒田官兵衛伝』第4巻を読みました!

『軍師 黒田官兵衛伝』第4巻

COMIC ZINの購入特典付き(ドーンと長政様の勇姿のイラストカード)これが欲しかった...!

刊行記念寄稿の小説「藤巴の旗の下で」も掲載されています。こちらもとても楽しかったです!

本編は本能寺の変後、明智光秀を討つ山崎の戦い清須会議柴田勝家との訣別までを描いています。

もとは同じ織田家の旗の下に集っていた家臣たち、その結束に決裂が...というわけではなく

元々見ていた「こうありたい日ノ本のこの先」がそれぞれ違ってたということが、浮き彫りになってしまった...、という気がします。

その中で(史実ではいったいどうだったかということはともかく重野先生の描く像としては)最も信長公の想いを汲み「一刻も早く戦の無い世の中を」という志向をシッカリと理解し、受け継いでいたのが秀吉だったのですね。

『信長のやり方は間違っている、その天下を見たくはない』(その理由はまだ『信長の忍び』でも触れられていないところですが)と、否定からの再出発を目指した光秀。

『織田という家名を立てる』ことにこだわってしまった勝家(これは後に、豊臣家を守るために三成が陥ってしまう立場に重なります...)。

その思惑の遥か上を越えて秀吉は飛躍してゆくんだな...と。

織田家の中枢に長くいればいるだけ、重臣ほど見失ってしまった事だと思うんですが

「明日をも知れぬ時代を終わらせてくれる、戦いのない世の中をもたらしてくれるなら、何者でも良い」と、何のゆかりもない民、被支配者層にしてみれば思ってるんです。

「民とっては、それを成し遂げるのが織田信長じゃなくてもいいんだ!」といかに切り替えられるかどうか。

「自分がやろう!」とシンプルに思い切れるかどうか。

それが勝家の「ワシは信長様の背中を見ていた、でも秀吉は信長様と同じものを見ていた」というセリフに表現されていたように、私は思うのです...。

この作品の秀吉は、信長を心から尊敬し愛してもいたけれど、それとは別に「皆が笑って暮らせる世を作る!」という強い信念があったので、たとえ信長個人が倒れても信念に従って迷わないでいられました。

どれほど早く、信長という偉大すぎる名の呪縛から自由になって動けるかの勝負だったのかな、と感じました。(たくさん涙も流してますけどね...)

で、それほど織田家中とのしがらみがなく、今で言うビジネスライクにバサバサと合理的な策を打てる立場にあった黒田官兵衛その人は

そういううまい時代の巡り会わせで才覚を発揮し、秀吉の目指すところを具体的に形にする、要請にマッチした働きが出来たんだな~、と思いました。

...個人的推測ですが(官兵衛晩年の動きを思うと)「自分の家が生き残れるなら権力を握るのは誰でも(秀吉でなくても)いい」という割り切りを

民衆並みにドライに行っていたのが、官兵衛・長政、および黒田家家臣の人々だったような気がします。

あと、ギャグにされていたけれど、光秀が「秩序ある世の中を第一に目指す」と宣言したとき、家臣たちの間に(つまんなそー...)っていう沈黙が流れるところ、これメチャクチャ重要なシーンだと思うんです。

人間には欲がある。がんばったら見返りが欲しい。飲みたい食いたい・楽しいのがいい。何より死にたくない。というのがあるから。

そこを満たしてくれそうな人について行くのが、光秀のように、己を殺してつくす心を持てない、清廉さのない、俗っぽいしもじもの者の自然な成り行きなんです...悲しいですが。

ただ滝川一益は...なんも...なんもいけないことしてないのに...がんばってんのに...ただただ運が悪い...天が味方してくれない...つらい。

本編が本能寺の変~信長公亡き後の右往左往を描いているのに対し、小説の時代は、もうずっと先...豊臣政権が終わってるどころか、官兵衛も、家康すらもこの世を去った時点から振り返って、黒田長政が語る戦の世の顛末という諸行無常感がたまらなかった。

悲しい、とかじゃなく それが時の流れ、時代の流れなんだなって、すがすがしく思いました。

長政様が描かせた大阪の陣合戦図屏風や、荒木村重の子息(と伝わる)絵師の岩佐又兵衛のエピソードまで盛り込んで下さってありがとうございます...。

冒頭カットの黒田父子が見下ろす広々とした陣地は名護屋かなあ。なんて想像がふくらみました。

とても楽しかったです。史実としては、この先に黒田家にとっての更なる試練があるわけですが、それもまた作品の中でどう描かれるのか すごく楽しみになりました!