ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

教団の集まりで。

日曜は年に一度の全国の教会の集まりということで、青山まで出かけてきました。

内容は、ふつうの日曜日と同じ礼拝のほか、アメリカ人宣教師を招いての説教、年間事業報告や牧師の任命式、神学院を卒業した人へ証書授与、などなど。

「ちょっと怖いと思うところもあった。」と、正直な感想をダンナに言ったら

「まあ確かにね~。オレも上の人は言いたくないことも言わなきゃいけないから、大変だなって思うよ~」と笑っていました。

ひとりでのんびりと、リビングバイブルの好きなところを読んでいるときは、励まされたり、心が落ち着くこともあるけど、

それでいて教会に行くと、身の置き所が無かったり、牧師さんの熱のこもった説教に返ってひいてしまったり、で疲れます。

中にいる個々人は、損得や妬み恨みのないあったかさがあってみんな大好きなのだけれど、

教会・教団、という集団になって礼拝を行うところを見てると、顔のない、力だけを持ったモノが迫ってくる感じがして、怖いです。

やっぱり今のワタシは信じるということと、教会と言う組織の仲間に入ることは、まだ分けておきたいんだな、と思います。

一度「キリスト教のココが好きで、ココは解せない」というのを、分けて書き出しておきたいと思う。

自分の気持ちを整理するために。

今回ワタシがついて来たのは、彼が就職して千葉に来た頃お世話になった牧師さん家族と会うためでした。

学校の先生と同じように時々転任があるので、数年前に異動した牧師さんと、結婚してから教会をのぞいたワタシは、直接面識がなかったのです。

「千葉での親代わりだった人なんだよ」と、彼がよく言っていました。

初めて会った牧師さんは、お年の割にスマートな体型でダンディな雰囲気の方でした。

「彼が18の頃から見てるから、ほんとに嬉しかった」とニコヤカでした。

「ちょっと頼りないかもしれないけどしっかり支えてやってください、私からもよろしくお願いします(笑)」と、さりげなく彼に厳しいことを(笑)仰ったので、

「はい、よろしくされます」と答えました。(笑)

「時々教会にも行ってるんですけど、何だか、よくわかりません」と、また正直に言いました。

牧師さんの奥さんは「いいのよ、ゆっくり知ってもらえれば!」と、笑っておりました。

「親代わり」と言う言葉を聴いて、

クリスチャンホームに生まれて、精神的にも実生活でも教会の人たちに助けられて育ってきたダンナにとっては、信仰って両親の財産を受け継ぐような気持ちで、親孝行の意味もあるのだろうな、と思いました。

閉会後、最近改築したワタシの母校を見にいきました。

黒い外壁で、にょきっと細長い形で、窓が小さくて、

「・・・墓石・・・?」と思いました。

青学の後だけに敷地がやたら狭く感じたり。

これっていいデザイン・・・なの?? 

中には入れなかったけど少なくとも外観は好みじゃない・・・。

渋谷駅に着く頃にはダンナが腐海(=渋谷)の空気と花粉にやられて

「もーやー! なんでこんなに人がいるの! どっから湧いてくるの!!」

と疲れてキレ気味に。

混んだ電車もしんどそうなのでお金はかかるけどラクチンな高速バスで帰りました。

あっちこっち寄り道しようと思ったら、やっぱり彼は連れて来れないなあ。

そのかわり寒さと肉体疲労には強いけどね。

帰ったらまだ7時半だったので、新住所に移って初めての選挙に行って、

戻ってすぐバタンキューと寝ましたとさ。