ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

近況 - ギャラリーに行ったり、スタンディングに参加したり、改憲に反対したりする日々

気がついたら、5月の連休に入ってしまった...

配偶者がようやく長めの休みを取り、2泊で能登に行って帰ってきたので、さっきまでみやげ話を聞いておりました。

4月下旬のことですが、思いたって、銀座のギャラリーで開催された 透明水彩研究会(TWS)の展示に行ってきました。所属しているとか ゆかりのある団体というわけではないのですが、SNSで所属している作家さんの作品を見て、とても惹かれたからです。

tws-watercolor.net

アナログの画材の中で 自分が最も苦手意識のある画材が透明水彩です。繊細な筆づかいが出来ないもので…。

細やかさと速さと 両方が要ると思う。対象の特徴を瞬間でとらえて出力するむずかしさがあるんじゃないかなと思います。水分が蒸発しきって定着するまでの、わずかな間に思い通りに出力するには、いろいろな基材(紙)や各絵の具の特性も、繰り返し練習して熟知してないと使いこなせないだろうし...。

 

どの作品も、それぞれに素晴らしかったなー。ひとくちに透明水彩と言っても 同じ画材でこんなに作風に幅があるんだと思いました。アニメの背景の仕事をされてる方のオリジナル作品などもありました。展示作品を印刷したポストカードを購入しましたが、透明水彩って、原画とプリントの発色がどうしても全然違っちゃう。どう細かく調整しても、きっと原画の発色を再現することは出来ない。使われてる顔料が云々...という光学的な理屈はあるのですが、やっぱり、実物から放たれる透明感、手ざわり、のようなものを、印刷にして複製することができない。それが顕著なのが、透明水彩画なんだと思いました。これもデジタル作品との大きな違いだと思います。

ギャラリーでは実演も行われており 作家さんが使ってる絵の具と紙で試しがきができるのを 見ていたらいかがですか? と声をかけてもらったので…

なんとなく、鳩サブレー…

このダニエルスミス・プリマテックシリーズ という絵の具、天然の鉱物を原料にしていて(日本画の岩絵の具に近いかも)鮮やかだけど、ナチュラルな発色 それだけじゃなくキラキラ煌めく粒子が残ります。(これも写真じゃ映りませんね...)楽しかったぁ。

danielsmith.com

それと別の日に 千葉駅東口で、有志のかたの呼びかけで行われている反戦・平和サイレントスタンディングに参加してました。

日本国憲法が書かれた帯を締めている方がいたのです

いちおう、自作のプラカード…じゃない、うちわを持って行ってるんですけど 基本的には静かに、通行の妨げにならないように立ってるだけです。

デモやスタンディングの参加者になるということは、人の日常のいとなみの「異物」になりに行ってるんだと思います。日常に侵入し、ちょっと一時、「え、なにあれ?」と、とまどいを催す存在になる。参加者にはその自覚がある、と思います。

どんなSNSでの発信も何もしないよりは大切だけど、生身の人間が物理で、目の前に出現することのパワーというか、心に残る効果っていうのはまったく違うなーというのが、何度か活動に参加してみて身をもって感じたことでした。かき乱された人からは、嫌悪の言葉や、ときには暴力にもさらされることもある。その時には助け合います。

平和が、命の脅かされない時間が、この先も続くためにはどうすればいいんだろう...何も確信は持てないです。「私のしてる事は絶対正しい!」って思ってるひとのほうが、少ないと思います。ただ、じっとして見過ごせない、居ても立っても居られない、今のうちに出来ることはしないと 「あの時何もしなかった、もう1人でも、多く行動していれば」という後悔を、したくない。自由に発言しても逮捕されないうちに。そんな取り締まりが違法な社会であるように、やれることをやっときたい。そういう人たちが今、一緒に立ってるんだと思ってます。

そう、圧力団体じゃなく、個人の気持ちで動いてる。気持ちと言えば、「お気持ち」という冷笑・揶揄ワードがあるけれど、今個人で行動してる人は これが自分の「お気持ち」であることは、百も承知で町に出ている。だから冷笑は怖いけど、やめるわけにはいかない、と思っています。(じっと、ひとりでいると不安でしょうがないから)

以下、長くなりますが、現在の自分のスタンスのようなことです。

もう2015年の安全保障関連法案の衆議院強行採決のころから この政治いやだーっっ!! と思ってたし、現在の与党には投票してないです。

当時はあまりはっきりと言葉には残してなかったけど、「なんだよ、勝手に決めちゃって」 という気持ち悪さが、ずっとありました。国会前でこの法案のときにアクションを始め、ずっと継続し続けてきた人びとがいるのを知ったのは、つい最近です。ゼロからではなく乗っからせていただけることに感謝したいです。

 

nekoana.hatenablog.com

webだけで 「この首相、やばいんじゃないの?」「こんなに選挙で大勝させたら全権委任されたと勘違いするんじゃないの?」「案の定、憲法変えようとしてるよ??」「戦争をするアメリカやイスラエルに追随してばかりなのはいやだ」と心配しても 「でも選挙で勝ったんだから、彼らのやることにしたがいなよ」という 「多数派が正しい」 論から抜け出せない人の多いこと、もっと言うと、単純に政治に関心がない人、「変わらない日々が、ずっと続いていくだろう」と、うたがわない人が多いことに、驚いています。

「多数派が、間違ってしまうこともある」というのは、歴史に照らせば見えてくるんじゃないでしょうか。

いろいろな、思考を、努力を、政府任せ・与党任せにしていたら その権力を自分たちの立場の永続、権力の維持のために、好き勝手に使えるように、国会でもなく閣議でルールを変え始めました。

「みんなが知らなくていいこと、知らせたくないこと」も勝手に決め始めました。報道には圧力をかけ、自分たちにネガティブなことは伝えないようにさせ、何事も起こっていないように、大丈夫なように、明るい話題・政府を支持する発言者で満たしました。

日本に住んでる人たちから、あくまでも委任されたちからであることを忘れ、国民は「下」で、自分たちは「上」だ、支配しているのだ、と思い始めました。長くその地位を固定していたせいで。ありていにいえば、腐敗しました。

遅きに失したのかもしれないけど、こんな奢り切った人々には今からでも辞めていただかないと、みんな道連れに貧しく・苦しくなり、ころされたりころしたりするようになり、また世界から見捨てられると思いました。それを、ずっと「しかたがない」とか「いつのまにか、そうなってた」と言う人に、なりたくない。

前例がないわけじゃなく、1回こういう独裁や異論の封殺をやって、そのために戦争に突き進み、めちゃくちゃになった国です。つい81年前までそうだった。

当時を記憶する人が少なくなったのをいいことに、「あのころの日本こそが本来の、すばらしい日本だった、栄光をとりもどそう」なんて喧伝して、誇りとかフワっとした心地いい表現にして、繰り返そうとしてるんです。めちゃくちゃ、愚かじゃないですか…。

誇りなんて漠然としたカッコよさよりちゃんとご飯が食べられること、安心して眠れること、好きなものを見たり聞いたりして楽しめることの方が、それが明日もその次の日もずっと続いていくことがよっぽどすばらしい。

戦争だって ホントはどこの国でも、たった1人でも命を奪われたり 住むところ、大切なものを奪われた時点で世界中が止めさせなきゃいけなかったのに。「いろいろなパワーバランス、思惑があるんだから…遠い国のことだから...自国が戦争してるわけじゃないから...」 要は、「自分はまだ安全圏にいて生活できてるから、大丈夫」 ...と、見ないふりをしてるうちに、タイムリミット、引き返せない臨界のようなものが、足元に迫ってきてる気がします。

今「このままじゃいけないな」と、動いてる人たちが後に 「あれは取り越し苦労だった、心配しすぎ」と笑われるようであってほしいです。そうなっても、ちっとも恥ずかしくない。それでいいから、今は「戦争反対、日本国憲法改悪反対」と言います。

しつこいですが、あやまちを繰り返そうとしてるのを、そのあやまちへの、ストッパーが破壊されていくのを、見過ごせないです。ほんの個人の、ちっちゃいちからですが、個人を守る ということも、憲法に書いて誓ったのが、戦争を経た後のこの国なんですから。ここでちからを使わないとな って思います。

5月3日は憲法記念日ですね。有明防災公園で開催される、集会にも行ってこようと思っています。

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