ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

「普通」と「迷惑」についてのこと

「普通」って何だろう。「普通」の条件って何だろう。

週5日・1日8時間働けること?
通常学級に休まず通えること?
朝起きて夜眠れること?
男に生まれたら仕事を頑張って、女に生まれたら子どもを産んで育てること?
母国語が話せて、読めて、書けることも、でしょうか。

 

少し調べればそうではなかった時代もそうでない国も文化もあって、ちっとも普遍的ではない というのはわかります。
でも何となく いま日本のなかでは「ここまでは最低限出来てほしいよね」という無言の了解があって、目に見えない クリアすべきラインののようなものが 至る所にあるように感じます。
誰かが定めて、命令したってわけじゃなくて、世間とか空気のような形でフワっとあります。

 

いちばん個人的に、悩んだ「普通」と関連する言葉が「迷惑です」という言葉です。

普通出来ることをやれなかったり 逆に普通からはみ出たことをしてしまうと周りに「迷惑がかかる」ことになる。

「迷惑」って思わせちゃった方がかならず悪い、みたいなところがある。

そのひとことを出されちゃったら 大体の人は反射的に「しまった!」ってあわてる。とにかく「迷惑じゃない」ようにしないと! ってなってしまうように刷り込まれてると思う。あの人迷惑かけたんだってよ、って周りにもよく思われない。すごい魔法(のろい?)の言葉。場合によっては法に反することより、「迷惑プレッシャー」による罰し効果は強いかもしれません。

 

人に迷惑をかけないで生きていくのって 少なくとも私のような者には不可能だし、ほんとうに人に迷惑をかけるのが、悪いことなんだったら、私は早いとこ死んだ方が、迷惑にならないなぁ~。って思っています。

 

中学生の時にいじめられた原因も迷惑をかける者だったから、でした。

思いついたことをすぐ口に出し、約束を守れないことも忘れ物も多く...集団生活に難がある…ありすぎた私は、だいぶ困った存在だったと思います。クラスの中で許されないことばかりしていたんだと思います。いじめグループの中心は、学業もでき、運動系部のリーダー的な、とてもキチンとした人で、私に迷惑をかけられた人たちの総意として制裁を加えるという、大変理にかなった形での無視いじめでした。

「ドアノブちゃんはいじめられてもしかたないんだよ」と言っていました。とかくひとり行動になりがちだった私に(まあ、ひとりで、かまわなかったんですが)精いっぱい優しく接して手を差し伸べたつもりだったのに、私が期待を裏切るようなことばかりしていたので、愛想が尽きたのでしょう。

私は、あんなちゃんとした人にも嫌われていじめられるようなら、ほんとにダメな、きっとこれから社会に出ても通用しない人間なんだなって思いました。死んじゃおうと思ったけど、どうせ学校に行ってもいないことにされるので、行かなくていいなと思って、死ぬかわりに学校に行くのをやめて、ひとりで勉強したり外出したりするようになりました。

出かけて行った場では一度も迷惑がられることはありませんでした。どうやら、なにが迷惑に当たるのかは「時と場所」しだいのようだ。私の迷惑にあたる行動は学校の中限定だったんだな、と気づきました。それって大きな経験だったなと思います。

 

「ふつう」の基準はいつも自分のあずかり知らぬとこで、勝手にきまってるし、
その求められる「ふつう」のハードルが、多すぎるし高すぎるな…って感じています。
みんなアレをクリアして生活してるのかなあ。そんなわけないと思うけど。いろんな人がいると思うんだけど...。


じゃあなんでそんな、ハイレベルで、とてもつかれる「ふつう」のありかたが、いまだに良いことで、目指すといいもののように、私たちは刷り込まれているんでしょうね。
他のあり方が見えないように、ないもののようにされているんでしょう。

 

「こうあるべき」のない、世界に行きたいな。
早く、みんなで許しあって、楽になりたいね。