ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

大河ドラマ『いだてん』最終回を迎えて。

2019年の大河ドラマ『いだてん』の本放送が完結しました。

(ずっと追いかけていた視聴者は『完走』と言ってますw)

ゴールには、素敵な、爽やかな感動が待っていました。

 

リアルタイムで視聴し続けることができた初めての大河でした。振り返ればまさに『オリムピック噺』。落語のように、「苦くて哀しくて情けないことがいっぱい、でもサゲ(結末)ではみんな笑っていた」ドラマでした。

 

 第一部の終わりごろに書いた記事はこちら↓

nekoana.hatenablog.com

複数人の主人公が交錯し 『語るがわ(落語家)』←→『語られるがわ(アスリートと関係者)』に切り替わって、時系列が行ったり来たりする...。

転換が目まぐるしい中盤を越え、過去と現在の時系列がひとつに融合して、1964年開催のオリンピックを目指すコーナーに入った時。

積み上げられ、つむがれてきた伏線の糸(まさか関係しているとは思わなかった小さなできごとたち)が撚(よ)りあつまり、魔法のような鮮やかな手腕と映像技術で、晴天に浮かぶ五輪マークと、まぶしい陽に照らされたスタジアムが映し出されます。

その光景は作り手だけが完成図を知っていてコツコツ織り上げてきた、美しいタペストリーのようでした。

「ああ、やっとここまでたどりつけた。長い道のりだった...」と今までの出来事が「思い出」として流れ込んできました。自分も準備委員会のひとりとして開会式に列席したかのような、感慨を抱きました。

 


 

 西南戦争の記憶も鮮明な、日本人の誰もスポーツを知らなかった明治に始まり

大震災による破壊から 復興運動会に人々が集い立ち上がる大正を経て

オリンピック開催の夢どころか、命までも戦争に踏みにじられた昭和があり

泣いたり悔しがったり笑ったりしながら...観る者は登場人物と併走しました。

この「併走体験」を提供するために 東京でのオリンピック開催のスタートを明治時代に定め、さかのぼって始める必要があったんですね。

 

そしてオリンピックという 国境を越えて、人が行き交い行われる事業が、政治のあり方・この国のかたちと不可分である以上、「時代」を描くのにも、たいへん適した題材だったのではないでしょうか。

 

とにかく「視聴・鑑賞」ではなく 「体験」するドラマでした。心に残る物語とは「そこに自分が居合わせたような体験」を残すものではないかな、と思いました。

 

 


 

 『英雄』なき時代の物語

「いだてん」を観るまで、実在し、重要人物として登場する 金栗四三田畑政治、そして嘉納治五郎 ーすべての人の功績を 私は何も知りませんでした。

 

来年放映の室町時代後期を舞台にした「麒麟がくる」の登場人物が発表されただけで、私たちは過去作品や史料で親しんできたその人がどんな人生を送りどんなイメージなのか、語ることが出来ます。

 

400年以上前の有名な人のディテールは、古くからの知り合いのように饒舌に語れるのに、祖父母と同世代の人々のことをこんなに知らないのはなぜだろう。と感じました。

 

学校教育の問題、

近親者・遺族が健在であることへの配慮、

近現代史に必ずまとわりつく イデオロギーの問題。

などなどありますが、それにしても知らなかったことが恥ずかしく、忘れ去られてしまう前に多くの人の記憶に刻まれて欲しい業績でした。

「いだてん」を通して、四三さん、まーちゃん、嘉納先生、たくさんのオリンピアンたちに出会えてよかった。

 

一国を率い革命を起こすような、突出した英雄・英傑のいない時代だって 人間はシッカリ生きていたし、ひとりずつのエピソードを掘り下げていけば、おもしろくない人物などいないんだ。

知らなかっただけで こんなに魅力的でユニークな人々が、近い時代に躍動していた。それを『発見』させて下さったドラマに、深く感謝しています。

 

( 「戦国や幕末が舞台の大河は好きだが、『いだてん』は近現代が舞台なので興味が湧かない」と言う人が一定数いたのはなぜだろう? とも思いました。

自分は戦国武将だと黒田官兵衛様が大好きで今もずっとそうなのですが、だったら大河ドラマでいちばんおもしろいのは 『軍師官兵衛』一択でよさそうなのに、まったくそうではないです。

「物語は小説でも演劇でもドラマでも、どんな世界で、どんな人が主人公でも『おもしろいと思わせたもん勝ち』だ!!」と思っています。時代背景や誰が主役かで『おもしろい/つまらない』を分けるひとの心理が、純粋にふしぎだな~、と思います。)

 


 

 無名の人々が渡した「バトン」

『いだてん』に登場する架空の人物も魅力的な人ばかりです。

車夫の「清さん」。名前の由来は落語の登場キャラで、やさしく面倒見の良い兄さんなのですが、序盤ではほとんど関わりのない、金栗、田畑、嘉納先生、語り部古今亭志ん生の、すべての登場人物と知り合いです。

関東大震災の瓦礫の中での「喜びは喜びで、おもいきり声に出さねえと」という言葉が好きです。

車ひきという職業が表すように、あっちからこっちへ人をつなぐネットワークのような役割の人だったなあ~、と思います。

 

各オリンピック会場で日本選手に同行する通訳の皆さんも、なんだかみんな、可愛い人たちばっかりでした。「これで永遠のお別れです」とでも言いたげだった、ベルリン大会のユダヤ系通訳ヤーコプの笑顔は淋しそうでつらかったですが...。

 

そして 志ん生の若き弟子、「五りん」は、記録には残らなかった人々が、スポーツとオリンピックにかけた夢と願いを まるでバトンのように受け継ぐ存在でした。

 

要領ばかり良いように見える、近頃の若いもん代表のようだった五りん君のルーツが、徐々に紐解かれてゆくところは、ちょっとミステリー仕立てです。

彼は、震えるような幸運な出会いと、悲しい別れの果てに、生まれるべくして生まれた人だったことが、徐々に明らかになります(ここは重大なネタバレなのでボンヤリと...)。

 彼が託された無名の人々の願いや愛情のバトンは、物語が終わっても次の世代、この現代を生きている他ならぬ私たちに渡されるために、走り続けているような気がします。(最終話を観るとなおさら)

 五りんの家系だけでなく、私が今・ここに生きてるということは 『バトンをつないだ』誰かがいるからなのだ、と気づかされます。

 一代で記録を出したり記憶に残ったりするアスリートたちとは別の生き方をしている、ほとんどのフツーの人が共感できるのが、五りん君だと思います。いわゆる「名も無き人々」のいとなみとは、この五りんのファミリーヒストリーを辿るに、スポーツに例えるならば「リレー」なのだなあ、と思いました。

 


 

おわりに

嘉納治五郎先生のセリフを借りて…

「楽しいの? 楽しくないの?」 と問われれば 間違いなく

「おもしろい! 実におもしろい!」 視聴体験をさせてもらいました!!

 

製作スタッフの皆様、さまざまな試練やトラブルを乗り越え、膨大な資料にあたり、たくさんの「創作より奇なる事実」を掘り起こして下さってありがとうございました。素晴らしい映像と音楽でした。

そして脚本の宮藤さん、お疲れ様でした。人生の宝物になる、素敵な『噺』でした。

 

円盤も出ることが決定したので 未視聴の方もぜひ御覧いただけたら...と思います!