タイトルの通り。個人的体験をなるべく冷静に、書き出してみる。
後々記事にするためのメモ書き的に。
- 学校より楽しいことややりたいことがあった。
→「死んだらこの本の続きを読めなくなる、あの絵が描きかけになる」生きることへの執着に。ありがとう二次元世界
- 小学校高学年あたりから、いじめと違うささいなトラブルが積み重なっていて何となく教師への不信感が湧く。
→もともと学校嫌いなので、学校で居場所を失っても深く絶望しなくて済んだかも
- 勉強じたいは嫌じゃない。高校やもっと上の学校に行けば好きなことがやれて楽しいことがありそう
→将来への希望がある。
- 小学校→中学校と、ほとんどメンバーが変わらない持ち上がりだったのでいじめる側の親・家庭環境などの状況をよく知っていた。
→あいつ家が大変なんだよね。誰かをいじめずにはいられない程ストレスたまってるんだろうね~…という同情心があった
じゃあ自殺ではなく、学校という場から逃げる→不登校を選んだ理由はなんだったっけ?
- 学年単位で荒れていて教師が対応に追われ、まともな授業が出来ないことがあった。→
「学校は勉強しに行くところ」という大前提すらアヤシイ→
自習してる方がよくね? 行く必要ないんじゃない?
- 先に学校に来なくなってた子が結構いたので「それもアリなのかな…」
- 母親がどちらかと言えば「他人と同じじゃなくていい」という考え方の持ち主だった
(それでも学校に行かなくなった時は『まさかうちの娘が…』って相当オロオロしてたけど)
うーん、こんなもんかしら…
他メモ
- いじめをなくすなんてムリムリ、夢物語
- でもいじめられて死ぬ人は無くせるハズ。
個別のいじめに対して当事者は無駄だと思わず、絶対なんらかのアクションを起こすべき
- いじめられていい人なんていない、ただ距離をとった方がいい人がいるだけ
→中高生くらいだとまだそこに気付けないかも?
- 学校はカルト宗教の教団と同じ。教祖・教義の位置に群集心理がある→
「絶対行かなければいけない」プレッシャーに圧殺される。
じゃあそのマインドコントロールをどうやって解けばいいのか。「脱会」した後で、学校や同級生とどう関わっていけばいいのか、が難しい
- 行かない選択をした場合、やっぱりいろいろリスクが大きい。
それをカバーする施設・制度を増やす。今もあるけど、知られてないことが多いのでもっとPRする、学校もそういう機関と連絡をとって活用する
- いじめっ子への最大の復讐、それは生きて、生き延びて幸せになって笑ってやること
- 世界は学校の外に広がっている。それを見ずに死ぬな!