ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

『うちよそ』は わかっていても むずかしい。

小学校の運動会も終わりました。息子は小学校最後の運動会でした。

5歳離れた兄妹なのですが、1年生の妹が出る競技の実況アナウンスを、放送係の6年生兄がやるのが胸熱だった...競技では決して見せ場のないタイプの息子の活躍の場があってよかったです。

娘は先週のピアノ教室で、割とビシバシ指導され、へこんでいたように見えたけれど、家では毎日何かしらピアノに向かってるし、今週いやがらずに行って楽しそうだったので、ああピアノ好きなんだなあ、好きだから続くし、うまくなりそうだなあ...なんて思いました。

バラ

「他人と自分を比べるな」や「うちはうち、よそはよそ」が お題目のごとく繰り返し唱えられて決して死語にならないのは、それだけ「自分をひとと比較してしまうのも また『当たり前のこと』である」からなのかなあ...と思います。比較したところで何の得も意味もないのに、他と己を比べてしまう。「わかっちゃいるけど、やめられない」ことのひとつ。

ワタシは「人と比べるなって言われてるのに比較してしまう...気にするなって言われてもクヨクヨする...ダメなやつだ...死ねばいいのに!」と極端な思考に走りがちです。

だから、逆に「比べてもいいの、気にしてもいいの。それが人間のサガなの。しかたないよねえ~」と 意識的に唱えるようにしています。気を楽に...。

ワタシは、以前は「マイペースで、ひとにどう思われていようが気にしないタイプ」 と家族などに言われていたし、自分でも「比較も嫉妬もしない、いい性格だな~」と誇らしげに思っていた時があります。

ところがそれはただ、人と接触する機会を減らす(学校に行かないなど)ことで、必死に「比べなくて良い環境に逃げ込んで、己を守っていた」 んだと思います。

否がおうにもありふれた、世の中にたくさんいる集団の一員(母、妻、というような)になって、暮らす立場になったとたん、ムクムクと「母同士・妻同士」という目で見てしまって、比較する気持ち、妬ましく思ったり卑屈になる気持ちが湧いてきました!(とてもくるしい)

ひとりぼっちでいて「ワタシは誰とも比べません」なんて言うのは、簡単だったんだなあ...と思います。