twitterがエンジニアの大量解雇により、もしかしたらサービスを停止するかもしれない...という、パニック手前というか騒然としたことになったけれど。
様子を見ていたら どうやらその事態は避けられそうだけれど、やはりあの、新しいCEOの方針は「あやうい」と感じます。早速、トランプ氏のアカウントの永久凍結が解除されたことに現れている。お金と権力持ったもんがちの世界だなって。
このままだと(今までもちゃんとしていたとは言いがたいけれど)差別やヘイトツイートを容認してしまうSNSへと向かってしまうのではないか。それはサービス自体が停止することよりもおそろしいことなのではないか...と思います。
聞こえにくい声を、遠くへ・広く届ける機能を、失わないで欲しい...と、twitterに対しては願いつつも。
私じしんはあまり「他の居場所」というのを求めてなくて、もしtwitterがなくなって、または使うに耐えない場所になって、ご縁がなくなってしまう方やモノゴトがあったら、それは諦めるほかないのかも。という、無常な気持ちになっています。
結局どこも(仮)の場所という気がする。自分はどこにも所属できない人間のように感じてるのと、どこかを「ホーム」にすることが そこにいる人たちへの執着・依存になりそうで怖いです。
すぐ飽きたり、いささいなことで嫌気が差して離れてしまうし。今の状態がちょっと、「つながり過多」という気がしてるから。
勤め先がわの都合で少し仕事の内容が変わることになり、新しい業務を教わりに別部署に出かけたりしています。
不安もあるけど楽しいですね...。教えてもらうということは、その間人と接する時間が増えるということで、とくに相性が良くも悪くもない方が先生なのでw、他愛ない雑談もできてストレス貯まらずにすんでるな~と感じます。ぜんぶ1人で担うわけじゃないし、この機会にできることを増やしたいと前向きにとらえてます。資格も取ろうかなあって。
気がかりはずっと、家に居る息子と帰らない(帰ってきたらずっと寝たきりの)夫のことです。気にしだしたら、キリがないのだけれど。