ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

ミニブログサービス『はてなハイク』終了に寄せて。

このサイトも役目を終えることとなりましたが、この春、自分が利用していたさまざまなWebサービスが終了することになりました。

はてなハイク」も その中のひとつです(詳細の紹介は省略させていただきます)。

2008年のリリース以来(そのころはまだ、国内でtwitterの利用が一般にそれほど広まってなかったと思います)長く細々と末端のユーザとして書きこませていただいておりました。

こちらのサービスが この2019年3月27日をもって運用を終えることになりました。

その思い出のようなことを少し。

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はてなハイクは、賑わっていたころはまた、議論も多く決して楽しいことばかりではなかったような気がしてます。

雑に言うと ツイッターぽかったような。

「こういう使い方は良くない」「価値観の違うユーザを排除するな」という異議が色々あった。

それに対して正面から論破する人、揶揄、ネタ化する人、idページで仄めかしつつ批判、もっと積極的に関わりを持たないように無視...のような経過があり。

それで少しずつ「うちらはなじめない、合わない、疲れた」と感じたユーザが去ることによって訪れた、小規模コミュニティの穏やかさ、居心地の良さでした。

過疎ることによって、手に余るようなタイムラインの情報量におぼれることもなく、かたよった思想にも出会わない。 ぶつからない作法を身につけた人だけが残った。

安心で平和な場所になったけれど、過疎化によって集落(=サービス)の存続じたいが、企業にとって価値がなくなり維持出来なくなってしまった...というのが、とてもままならないな、と今は思います。

 

運営するがわの思惑を考えなければ、はてなハイクがとても好きでした。

はてなハイクのおかげで 出会えた人、出会えた価値観があります。 子どもが生まれるという、いちばん人生で視野がせまく内向きになりがちな(それもおかしいな、とは思うのだけれど)時期に ある程度人との関わりを広く保てたのも、ハイクがあったからです。

それだけ思い入れがありながら 不思議と「ハイクが終わってしまうのが悲しい、寂しい」っていう気持ちがあまりないです。 他のこと(主に、家族のことや、今日のごはんに何を作るか)で、今いっぱいいっぱい...というのもありますが。

たぶん、ワタシはハイカー(=はてなハイクユーザのこと)の皆さんについて、ハッキリと「ひと、ひとりひとり」と感じてるからだと思います。

今まで、個人サイトを閉じたり更新を停止したり、SNSのアカウントを消して消息がわからなくなった、好きな人・仲が良いと思っていた人に対して、涙するほどめちゃくちゃショックを受けたり、嘆いたりしてました。

でもそれって、その好きな相手を 自分を楽しませてくれる 『コンテンツ』 と見なしていたからかもしれない。と思います。

自分の見える範囲での、イメージするとおりの活動がなくなったから、「終わった」と見なして、ガッカリしていました。

それは今では、身勝手なことだったように思います。

ハイクでは特定のユーザさんのファンになる、と言うことが とうとうありませんでした。

好きになることと、粘着すること・ストーカー化することが、表裏一体のワタシの性格では、奇跡的にすべての人から距離をとって接することが出来ました。

だから、疲れたり 感情が拗れたりすることなく 時々休みながら、気楽に帰って来られたのだと思います。

 

「○○が好きな、△さん」 は あまり強く目立たなくて、

「まるごとの『△さん』というひと」 と、出会うことが多いサービスでした。

(それはシステム設計によるものなのか、たまたま 属性を前面に押し出す性格ではない方が集まったのか、自分にはわかりませんが...)

実際に会った人・会ってない人、みんなハイクが終わってもハイクの外でも生きてる、どこかに暮らしてる 「ひと」 なんだから。

ハイクがサービス終了しても変わらず、どこかで生きて営みを続けている っていうのが(自分にだけかもしれませんが)「確信」できています。

なんかそういう確信できるような人たちが、これからも、この空の下にいるのを、知ってるだけで良いや。

そういう経験が出来て、しあわせだったな って思います(もちろん縁あってまた会う人もいるでしょう)。

 

ありがとう、はてなハイク