図書館が開いたので、いろいろ借りてきたけれど まずはいつの間にか家にあった コミック版『戦争は女の顔をしていない』を。
第二次世界大戦中、当時のソビエト連邦 「赤軍」に従軍し、独ソ戦に身を投じて、生還した女性たちへの取材を基に書かれた本が原作です。
ナチスを震え上がらせた伝説の女スナイパーや、女性で編成された飛行隊など「広告塔」にされた象徴的な女性の話は知っていたけれど、もちろん詳しくは知りませんでした。
田辺聖子の自伝『欲しがりません勝つまでは』や 『この世界の片隅に』を思い出しながら読みました。
『戦地の女の青春』 の記録で、記憶なんだけど、同時にこれは 『共産主義の青春』 の物語でもあるなあ、と。
ソビエトという国がかつてこの地球上にあったという もはや過去の物語になりつつある記憶も、この本の中にはあります。女性たちは「祖国のために」、自ら志願して従軍する道を選んでいます。
この戦争の頃ソビエトは 登場する女性たちのように 若く青臭く誇り高くて、若さゆえに強引で、無茶をして、命短く逝ってしまった国だったんだな…と思いました。
「国を守るために戦うのだ。それは素晴らしいことだ」 という 教育から来る気持ちが 戦争に協力することを美しい行為にし、敵を血も涙もない悪魔のようにみなし、滅ぼそうとする思想がはたらいています。世界を白と黒、敵と味方にきれいに分けてしまおうとする。これはいかにも、若くて青臭い。
皆がイデオロギーに染まって戦った。国家=自分じゃないのに、全体に自分を埋没同化させてしまった。
でもこれは ナチスも、日本も、です。
戦場に向かわせたのは「国と大切な人たちを守るため」というひとつの大義名分だったけれど 命の危険、ほんとうの修羅場に直面した時に、ひとりひとりの女性たちは急に個性的になります。
それぞれの、いちばんの願いがむきだしになり「個人」に戻った顔を見せるのが、とても印象に残りました。
日本に生まれ暮していると 私の祖父もシベリア抑留で捕虜の経験をしていますし、大戦末期に不可侵条約を破って侵攻し樺太を掠め取っていったような、また満州開拓者への仕打ちがあり、戦後も思想的・軍事的対立国であるとアメリカから煽られて、とかくソビエトのイメージが悪い人が 自分たちの世代には多そうですが
かの大国もまた、数にして2400万~2700万人(当時のソ連の人口、だいたい1億8900万人ほどだそうです)に上る大きな犠牲をはらい 回復できない国力の低下を招いていました。
生活・夢・未来・大切な人たちを持つ ひとりひとりの「ひと」がいたのに、それぞれにあきらめ、手放し、心の傷を抱えたまま生きることになってしまった。それが当事者の証言によって克明に語られていました。
あの戦争がなければ、ひとりひとりの命が失われることはなく、この国じたいが辿った後の歴史もまったく違うものだっただろう...と 想像せずにはいられなかったです。
改めて
戦勝国の人びとも、たくさんのものを失ったことには違いない。
英雄も、結局は個人をはぎとられ踏みにじられた、犠牲者なのだ。
…と感じました。
女が男と同等に前線に出て武器を取る社会が理想の平等社会であるはずがなく、
どんな属性どんな出自であれ 決して戦争に参画することがない世界、
それがいま生きている人間皆で目指すところであるというのは 言わずもがなです。
死にたくない気持ちに、男も女もあるか。