ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』読みました。

『いだてん』を視聴した方にはぜひ手にとっていただきたい、『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』です。クドカンさんが読んだ本としてラジオで紹介されていた中の一冊。図書館で借りました。

(ちなみに地元の図書館の開館状況は「返却」「予約資料の貸し出し」のみ行っており、今のところ3月17日(火)から通常どおりフロアまで開館の予定です。予約していた本を受け取りに行ったところ、扉の正面に長机を並べて仮の受付をつくり、司書さんが対応してました)

 

 

「いだてん」視聴した民としては、副島道正伯の、病を押してのローマの立候補撤回交渉、それなのに返上せねばならなかった苦悩に もらい泣きせずにはいられない…。

(俳優さんの顔だけれど)「いだてん」でその生々しい様子をビジュアルで観ていたから 嘉納先生、永田市長、ラトゥール伯、ブランデージ氏…などなど 顔とセットで 「知ってる!」と言える人の詳しい言動が 招致運動の始まりから 返上直後まで、資料を引いて解説されています。そして、当時の国際社会の日本への厳しい態度が伝わってきます。

もしこのまま1940東京大会を開催していたとしても、多くの国がボイコットは必至だったのだな、と。副島伯の返上の決意は英断だったのだ。それは後の世に振り返って思うことなのですが。

 こうしてさんざん、「政治的に、この五輪は無理ゲーだよ」という論拠を示してから その五輪出場を目指していた、アスリート個人や全国テレビ放送に向けて試験と準備を繰返していた技術者の落胆、などを書かれると...すっっごくつらい。夢破れてしまった、たくさんの人々。本当はそこを走るはずだったスタジアムで万歳に送られ、学徒出陣していく小松勝を思いだす。

 

メダル獲得の夢が消えた選手のうち、ベルリン大会棒高跳び三位で東京オリンピックの優勝候補と目されていた大江季雄は戦場に赴き、二度と帰らなかった。日本オリンピック委員会の調べによると、オリンピックに出場した日本選手中、戦没者は陸上八人、水泳(飛び込み、水球を含む)十三人、サッカー四人、ホッケー三人、ボート二人など合計三十四人にのぼる。

 

ところでこの本の 「学術文庫版あとがき」は 2013年11月、2020東京五輪開催決定の報を聞いた直後に書かれています。本書自体が2020TOKYOに向けて振り返りの意味で再出版されたのでしょう。

…が、まさか著者も、本書が黙示録的示唆をまとう時勢になってしまうとは、あとがきを書いたときは思いも寄らなかったでしょう…。

さらに大規模イベントの自粛期間延長が政府から要請された昨日。予定通り8月開催できるの!? 延期なの!? それとも中止なの?? ど~なるの~~!? いつまでに決定がリミットなんだろう…?

 

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