というわけで初めて行って来ました。
仕事を早めにあがり、始まるギリギリにやっと着きました。
ダンナは先に行って聖歌隊のリハーサル(キリスト生誕の場面を歌と朗読で語る)
に参加してました。
2ヶ月間の練習の甲斐あって、独唱&オカリナの演奏ともバッチリ。ちょっとハラハラしたけど。
授業参観で発表する子の親の気持ちってこんなかな。
腹から出る歌声は、普段とまったく違う声でした。
しゃべる声はあんなにヘロヘロなのに(笑)!!
そんな意外な一面も見られて楽しかったです。
この機会に初めて教会でものぞいてみようか~、という人もいるので(ワタシも)
クリスマスの由来について、牧師さんの詳しい説明もありました。
「○○のルーツ」を知るのが好きなので、牧師さんが説明する「降誕節としてのクリスマス」の話に、へぇ~とうなずきっぱなしでした。
クリスマスの礼拝は、会堂を暗くし、全員にろうそくが回され、その灯火の中で行います。
だから「燭火礼拝」。英語だと「キャンドルサービス」。
披露宴で行うキャンドルサービスのもともとの意味はココなのでした。
だからクリスチャンは披露宴やってもキャンドルサービスはしないですね。
クリスマスといいバレンタインといい、日本人はいろんな宗教行事をカップル仕様にカスタマイズするのに熱心だなと思います。
やっぱりそれは無信心のなせる業かな。
でも、街がクリスマスに合わせてイルミネーションを付けるのは好き。
暗い中に明かりが点灯するとなんだかホッとします。凝ってなくても、しょぼくても。
明かりに不自由しない世界に住んでる人間がそう思うんだから、
キリストの時代の人たちが「神は光」って表現したのは、もっと重い意味をこめてたんだろうな。
神戸や広島で毎年行われるように(今年は新潟でも)、
大勢の人が集まって、思い-言葉にするとうまく言えなかったり
個人の力ではどうしようもないことへの悲しみだったり-を表現するときに
「明かりを灯す」っていうのは、静かだけれど、相応しい方法だなあって。
自分も落ち込んだときとか、部屋を暗くしてろうそくを灯してることがあるし。
「キリスト誕生の喜び」っていうのは「一万円拾った」とかいうのとは次元が違う「歓び」だから・・・やっぱりこう、深いとこから湧き上がる気持ちで、明かりで表すのが相応しいんでしょう。
この無信心な日本でもあっちこっち光ってきれいなのは、
ルーツは教会としても、どこか人間の本能から出てくる自然なことなのかもしれません。
デートスポットのイルミネーションやイベントだって、
この日のために寝ないで準備した人たち、当日も頑張って働いてる人たちがいるから
観られるんだよね。
そういう頑張ってる人に感謝する日、お互いをねぎらう日、でもいいじゃない(笑)。