今年の大河ドラマも終わってしまった! ジンワリ寂しい。余韻に浸ってます。
「こんな最終回になるんじゃないかな」 と予想というほどじゃないけどウッスラ考えてたんですけど、なんと、めずらしくだいたい当たりました。
「まひろ(紫式部)は道長より長く生き、何らかの形で道長を見送る」
「まひろとききょう(清少納言)が仲直りして、ずっと友情を深め合う」
「まひろ、旅に出る」
「武力の世・動乱の時代の予感をさせて終わる」
... と、予想してたの。ほぼその通りだった。でも、だからといって感動が減じることはなかった。希望が叶ったようで嬉しくはありましたが。
1年楽しく見られたのはとにかく何より まひろ という、記録が少なく生涯が定かでない女性主人公に、自分が素直に感情移入できたからだと思う。もちろん紫式部がどんな人だったか 今となっては誰にもわからないけど このドラマのまひろには、「わかるぅ……!!」と思う(ときには、恥ずかしくて頭抱える、悶える)場面がいっぱいあった! 創作のこと、好きになった人とのこと、親とのこと、子どもとのこと。
ドラマの外の情報になるんですけど、土スタに、ゲスト出演した脚本家の大石先生が 「まひろは『気難しい人』として書いてた」って言ってたの 「アッやっぱそうだったのね☺️」と合点して。経験を重ねて、変わっていく面もあるけど、どうしたって他の何者にもなれないし 気難しい人が気難しいまま 気質を活かして生きてていい っていうのは(不遜ながら)自分と重ねて「肯定だな〜!」 と感じました。
ファンミーティング番組でも 視聴者からの質問「まひろが幸せを感じたのは、どんな時だったと思うか?」というのに まひろ役の吉高さんが、「1番は書く喜びを知ったことではないか」 と答えてたの、そこも解釈一致だな〜と。 道長と出逢えたことも、大事です。だけど、道長には申し訳ないが、創作の喜びがやっぱり彼女の芯だよなあと(業でもあるけど)。
序盤の、父親に「おまえが男だったら」…て言われるとこの、身に覚えある感じ(職場で経験あり)とか。 娘の賢子から「それだけのものが書けるのは素晴らしい、私の母としてはなってなかったが」って、ダメな母親である事をズバァっと言われるところとか「タハハァ〜〜!!」 だけど大好きなシーンだよ。 (ついこの前 「ママはコミュ障ってわけじゃないけど、人づき合いは苦手なほうだよね」と娘に言われたばかりだったので。まひろが「母上にも友達いたのね」って言われてて笑っちゃった。うちの娘も社交的です!! 好きなように生きて!!)
道長が、彰子に子が産まれてから、源氏物語の役目は終わった とばかりに、興味なくしてロクに読んでなかったっぽいのが おまえ〜っ(怒)て、ずっと思ってたんですけど。臨終の床で語り聞かせた、2人だけが知る物語が語られて、その物語を抱いて道長が逝くことになるとは〜…この 「2人のほかには誰も知らないけど、こんなふうにかたられたことがあったかもしれないな」ってとこグッと来た。お話の内容も、まひろと道長にあったかもしれない、IFの人生だった…。政治の道具ではない、原点に立ち返った、いのちのいとなみとしての「もの/がたり」でしたね。
あの時代、たくさん名の残らない人々が、突き動かされてさまざまな動機で書いていただろうけど。今まで伝えられたのはほんの一握りだろう。源氏の物語が末永く後世に残って伝えられたのは、道長が築いたものがあって守られたからだな〜 という意味でのタッグ、二人三脚だったな…それは事実だったんじゃないかな…。と思います。
まひろとききょうの 「私たち、筆のちからで政までも動かしましたわね。たいしたもんじゃございませんこと?」「こんな自慢話が人に聞かれたら大変だわ」 という、ほほえましい秘密の会話も。「残っていないだけで、あったらいいな」 が詰まってる素敵な場面でした。このドラマ自体が偉大な先達の志を受け継ぐ 「物語の子孫」だよなあ。と感じるシーンがアチコチにあった最終回。
作中明示してるわけじゃないけど。まひろって子どものころから、家族を、友を、死に追いやったのは自分だという経験があって、罪を重ねては罪の山の上で生きてる(書いてる)自覚がある。「私は死んだら地獄に行く」 っていうのを、受け入れてる感じがします。でも人は大体 生きてれば誰でも誰かを傷つけてそれを知らぬまま、知っても何も取り返しがつかないまま生きてってしまうような。めっちゃ罪だらけだ。
まひろが生きながら、いちばん傷つけた相手が、道長の正妻の倫子…! だったわけだけど。倫子さまとまひろの対峙、告白の時間は、息を飲んで見ていたけれど…。まひろが身分に阻まれて苦労したもの、富と権力、倫子さまはすべて持っているのに、倫子さまが望んだもの、道長の心は、まひろの元にしかないんだよね…。むずかしいねぇ! ほんとうに、ままならない、ままならないよ! と観てました。
そのあとで愛する人が死にゆく、日に日に衰弱していくさまをかたわらで見守れるようにはからう(まひろは夫の宣孝の弔いでさえ、妾の身だからできなかったのに)のは…。
あれは倫子さまからの、うつわの大きな道長への愛の行為だったのか? それとも、まひろへのできうる最大の復讐、という気持ちだったのか? とても多義にとらえられるので わからない 両方、だよねぇ……? まひろと道長はどう受け止めていただろう。(この辺はまた、改めて書きたいです。)
物語の持つ力を讃えつつ 歴史の暗さと厳しさもちゃんとあったなあ と思う。
道長がやった政治も、娘たちの血筋の皇統も、女房たち公卿たちが謳歌した文化も、何も永遠には続かない。もうすぐ貴族が治める世の中は終わる というのを感じさせながら。源氏物語の作風、紫式部が見つめ続けた、透徹した虚しさが現実のことになっていく。盛者必衰の世界がすぐそこに。それを踏まえての最後のセリフ 『嵐がくるわ。』 が、しびれました…。武人チームもかっこよかったよ。隆家に 「そちさま」 うちわを振る民草になりたい。
このドラマの世界のまひろと道長 来世でも出会って惹かれあうのは確定してるよね。そんでまた一筋縄では行かず、ハッピーエンドにはならなそうなw 繰り返しのようで新しい物語が、人生が、編まれていくのかなあ。ちょっと、恋愛ドラマへの苦手意識を下げて下さったことも、個人的に感謝したい作品になりました。
あと教養が…わたしの古典への知識と教養があればもっと味わえたはず…というシーンがたくさんあった、当たり前だけど…これからでも勉強しような!
ネクラなのにアクティブ、好奇心旺盛、母親に向いてない、身分や常識への静かな反逆者、どんな女子らしい幸福にも満たされなそうな。
紫の上より かぐや姫みたいな。この世の誰の手にも負えない、まひろが好きです。
1年間、ありがとうございました…!
来年の 『べらぼう』 は日本美術史の話でもあるし、個人的に信頼度の高い脚本&製作チームが手がけるのですごく楽しみにしています。
資料として即購入した↓