教会の役員さんが借してくれた本。著者は女性の精神科医です。
ワタシが空き時間に読んでる本を見て
「こういうの好きそうだから」みたいな推薦理由だったのですが
確かにワタシに丁度いいカタさでした。
友情の場合もそうだが、結婚においてはエリクソンのいう自己放棄がいっそう多く必要とされる。そこが単なる性的結合ともちがう重要な点の一つであろう。これをあえてひきうけるには「放棄しうる自己」がそれまでに育っていなければならない。その場合にのみ、相手との結合において自己を放棄すべきときは放棄し、しかもなおそれぞれの配偶者が独立人格でもありつづけるという奇跡的な柔軟性が現れうるのであろう。【第六章 人生本番への関所】
人生のいろいろな局面について触れてる中で、このくだりが心に残りました。
やっぱり今の身の上にいちばん近い内容が気になります。
エリクソンの著書は読んだことがないけど
この文中で使われてる「自己」が指してるのは単純に
「コレが『自分』だと思っているモノ」
と、解釈してしまってもそれほど間違ってないと思います。
そうした自分の付属物-有形・無形のさまざまなものを含めて、
何も手放さずに他人と暮らすことなんて出来ません。
が、代わりに「1個捨てたら、2個もらちゃったv」という気持ちをよく経験するようになりました。
何気ない日常の中で、フッと
「ああ、彼がいなかったらこういうことには気づけなかったな」
「ひとりでは、ここには来られなかったな」と思います。
大事に大事に抱えて「これ無しじゃ生きていけない!」と思いこんでいたものさえ、
手放してみたらそれほど大したことじゃなかったりしました。
いろいろなことに目が開かれて、見える世界が変わってきて、
その変化は現在進行形で続いています。
これが、「奇跡的に柔軟」な関係なのでしょうかねぇ…。