昨夏、映画館で観そびれた作品を順繰りに消化してます(笑)
というわけで、『姑獲鳥の夏』をようやく観ました。
原作の大ファンの後輩(@寿退社カウントダウン)が観に行ったのですが、
「あんなの映画で観るなら2時間サスペンスのほうがマシ!フザケンナ!金返せ!!」
という勢いのボロクソ酷評だし、レビューも辛口評価が多いし、何なんだ?何がそこまで言わせるの!?とビクビク。
原作とは別物だと思わなきゃ楽しめないんだ!と自分に言い聞かせつつ、身構えて鑑賞しました。
が、期待を裏切るような要素はなにも無かったです。おもしろかった。
うちの後輩も含めて、さんざっぱら批判されてるっぽい演出のこと。
あれをハァ??と思った人は、とても現代的な、アメリカ人寄りの感覚の持ち主なんじゃないかな。
美しいものも残酷なものも細部まで克明に、リアルに描いて欲しい、
描かなければ完成ではない・・・という映像に慣れた人なのだと思います。
もちろんワタシはロードオブザリングのようなCG駆使しまくり超大作も、大好きです。
ただ、どれもおもしろがれた方が、人生は楽しいかなあ・・・なんて。
クライマックス(憑き物落とし)で、あ、これ「見立て」だなあ。日本っぽいなあ。
と思ったんですよ。
ほら、手のひらサイズの松の盆栽から大木や林をイメージするセンスがあるか、ないか。
『ふすまに鍵がかかってなくても、勝手に開けるのは気が咎める』とか
『ついたて一枚隔てて誰かが話してても、それは聞こえないことになっている』という感覚を感じたことがあるかないか。
それらに「ああ、わかるわかる!」とうなづける人は、きっとこの作品は合っている・・・と思う。巧く言えないけど。
そういう意味で、映画・姑獲鳥は、原作と同じく日本的・日本人的なものを大事にした作品だった。
すごくはしょったようで、とても大切なエッセンスは失ってないな、と思ったです。
メイキングも楽しかったです。
堤さんが一部の層(笑)に『萌えるオヤジ』『可愛いおっさん』と持てはやされてるわけが、ちょっとわかりました。ニヤリ。