ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

「薔薇の名前」読みました。

時間かかりましたが読み終えました!

以下、ネタバレにはなってないと思いますが感想です。

今年初めに亡くなった、イタリアの記号学者・美学者・小説家 ウンベルト・エーコの 作家としての出世作です。映画化もされています。

私(=エーコ)が、ラテン語からフランス語に訳された、14世紀のベネディクト会派修道士・アドソの手記を手に入れ、そこに語られた事件を、さらにイタリア語に翻訳したのが本書である...という、「物語の中の、さらに登場人物によって書かれた物語」です。

(もちろんこの手記の存在からして、作者の創作なのですが...そのはずですが。作者の筆の力に寄って史実と創作は組み合わさり、まるですべて実際に起きた出来事のようにリアルに展開しています)

なんの知識も無く読んでもミステリーとして楽しいですが 中世キリスト教社会の成り立ちや政治の状況、当時のカトリック教会内の勢力図、主流だった神学、など... これらをざっとでも知ったうえで、触れた人のほうが より深く味わえる作品なのは、間違いないです。実在した神聖ローマ皇帝教皇、各会派の長などが特に説明なく登場します。無知な私にはほとんど理解できないところばかりでした...「デカメロン」と「神曲」からの引用やオマージュがあるし物語の構造も似ているよ! とのレビューを見たので、「よ、読むか...どっちも大著だけど...」と思っているところです(ややしり込み気味)

とにかく、他のいろいろな小説や歴史への多く知識があればあるほど楽しめるような仕掛けが、たくさん施されているようです。

個人的に 京極夏彦作品には この薔薇の名前の影響はあるな~、京極先生が読んでいないわけない! とすぐ感じました。閉鎖的な僧院で起こる宗派間の論争と連続殺人...といえば「鉄鼠の檻」ですね。

主人公(探偵役)のウィリアムだけが、この中世の薄暗い舞台装置の中を、すごく「20世紀人」に近い感覚で、眼鏡という最先端の科学の力で本を読み、理論で行動したり、真実を喝破したりするのだけれど。でも彼もやはり14世紀に生まれてカトリック教会の枠の中に生きる修道士としての限界があって。

自らの導きだした答えが、もしかしたら神の存在を疑うものになってしまう・・・と気づいて、立ち尽くすような、「限界」を知るシーンがあって、返ってそれがかっこよかったです。京極堂ほどには、外から分析する立場にはなれない。「超越した者」ではなかったのが良かった。

(映画ではショーン・コネリーが演じてるのでビジュアルも間違いなくかっこいいはず! w)

文字と記号の大海に放り出され、寄る辺なく嵐の中を漂流し、なんだこれなんだこれー?!のまま、ドキドキしながら読み終えてしまったけど、日本語訳者のあとがきのお陰でちょっとこの世界が「まとまった景色になった」というか、取っ掛かりを得た気がしました。訳者の方の示したのは

「結局なぜ『薔薇の名前』というタイトルなのか?」「完結した『小宇宙』だった、この僧院に足りなかったものは何か?」という、ふたつの問いで、これだけでもいくつもに解釈できる非常に深いものですね...。

私は、この物語で起きる惨劇は 僧院の文書館にあった、恐れや虚栄や思惑によって 読まれることなく死蔵されようとしていた、膨大な書物たちによる、人間への「復讐」であった...というふうにも感じます。

知識とは 特定の階級や権力者が貯えるものではなく、どんな人にも知られ、読まれ、広まっていってこそ「生きる」ものではないか? と思うので。

後ほど劇場版も観ます! あと関連本にも触れてみたいです。膨大ですが... 一つの本から、連鎖的に世界が広がっていくのは、いつも楽しいなあ。