ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

こそこそ。

思いついたことをブラブラ書きます。ネガティブな記事が苦手な方はご遠慮下さい。

連休中は、こそこそ時間を見つけて本を読んで、いろいろ読み終えました。

幻滅からの創造: 現代文学と<母親>からの分離 頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

いまは感想が書けないのですが、先日の「孤独と不安のレッスン 」も含めて

どの本にも、巻末なり後書きなりに、

「どうか死なないでください。」「あなたが生きている意味と役目は、必ずあります。」という著者の方の言葉がありました。

無意識に、そんなふうなひとたちに向けて書かれた本を手に取っていたようです。

今も1日に1回は 何もなくても「死にたい」と ぼんやりと思っています。

ワタシは、まだ生きていますが、EテレのハートネットTVのサイト「増える20代の自殺」のコーナーを見ると(番組の再放送もたまたま見ました)、心の病か・そうでないかの区別なく

「この先何もやりたいことがない。希望がない」「自分は何の役にも立たない人間だ。他人に迷惑をかけるだけ」という心境で、「でも口に出したら周囲から浮いてしまう」と思って、心にふたをして、何となくやり過ごしている人は、たくさんいるのですね。

そして、それが命を絶つ引き金になることもあって。

とても共感しつつ、けれど、かなしくなります。

ちょっと上の、親世代の人たちには、どうしても

「そんな『くだらない』理由で死ぬのか? 心が弱い」

「私たちが若い頃は、食べていくだけで精一杯の中で一生懸命だった。貧しい時代の方がひとの心は健康だった。」

「働かなくてもすぐ飢えるわけじゃなし、なぜ恵まれているのにその環境をありがたいと思えないのか?」

というふうにしか、受け止めてもらえない、という、さびしさもありますね。

どんなに 物質的にめぐまれていても、そこに居場所がないと感じられたり

「それを選んだ」という手応えというか、実感なく生きていくことは しんどい。

でもそれが 基本的に「がんばれば、明日は今日よりいい暮らしになる」という目標を持って 若い頃を生きてきた人とは 共有できなかったりする。

一見、物質的に、まだまだ豊かそうに見える社会は、お給料が安く、先の見通しが立たない、非正規雇用の若い働き手に どうにか支えられている。そこで働いてる人は ワタシなどより よっぽど勉強して、志だってある人だったりする。なのに、それが生かせない。そりゃ、なんのためにがんばってきたんだろって思う。

もう「努力でどうにか変えられる余地は、なくなってしまったんだよ」といいたい社会なのに。

そのわかってもらえなさに、さらに「そうだ、社会に適応できない自分がだめなんだ」と追い込まれて・・・という人もいたのではないか と思いました。

自分もしょっちゅう、周囲に死にたい、と訴えている手前、えらそうなことはなにも言えませんが、こういった本を手にとって読み終えるまでの期間、せめて命を延ばしてみてはもらえまいか・・・と思いました。

最近の感じを 絵にあらわすと、こんな感じです。

レベル4

こんな「強すぎる自意識」を一時でも鎮めて、うすめる手段が、

ワタシにとっては、お絵かきをする・作業に没頭する ということです。

だから、仕事もつらいということはなく、むしろ救いです。

最近は、あまり集中力もありませんが・・・