ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

ある人の死。

ダンナさんの親戚のお通夜に行ってきました。

場所が県内だし、彼のご両親も来るし、式に呼ばなかった彼の親類も来るから直接あいさつするいい機会だわ、なんて、ついでの用事みたいな軽い気持ちで出かけました。

亡くなった方は、43歳の高校の先生でした。

この歳だから、ご両親と奥さんは(お子さんはいないそうです)まだ健在で。

ずっと嗚咽していて、その悲しみようは胸が痛くなりました。

ポッとやってきて同じ親族の席に並んでるのが恥ずかしくなりました。

しかしどうしても、同じようには悲しめない。

亡くなった人に対する愛情や思い出が、ワタシにない。

越えられない壁があるような、悔しいような感じがしました。

そんな式だったのでご遺族にはただ頭を下げただけで、

黙って突っ立ったままになっちゃったりして、かける言葉もなくて。

亡くなった理由も訊くにきけず、帰途に着きました。

病気だったなら、うちのダンナさんも前もって知っていただろうし・・・

あまり突然で「交通事故かな?」と気になりはしたけれど。

帰りの電車の中で、ダンナさんがお父さんづてに聞いた死因をポソッと教えてくれました。

勤めていた高校はもう1年くらい休職中だったこと。

奥さんが出かけている間に、自ら命を断ったこと。

それでダンナのお母さんが、帰り際に

「ストレスをためないようにね、のんびり、ほどほどにね」と声をかけてくれたのか・・・。

うつ病患者が何万人、自殺者が何万人」という

統計の、冷たい数字の向こうに、一人一人の遺された人の涙がある。

今の今まで思いいたらなかった。知ってる気になって全然知らなかった。

なんなんだろうな、このズレた感覚は!

家に帰ってからしばらく、夫婦して、ぼうっと座り込んでしまいました。

亡くなったワタシの祖父が話してくれた戦争体験の話を思い出していました。

祖父は、いわゆるシベリア抑留からの生還者でした。

その回想の言葉で、忘れられなかった言葉があります。

「国のためだと言って、まじめな奴は死んじまった。

俺は運も良かったが、とにかく命だけが惜しかった。だから帰ってこられた」

これは昔ムカシの言葉じゃない。

戦争、今もやってるんだ。目に見える弾が飛んでないだけで。

もっと深いところにもぐっちゃったんだよ、戦火が。

いつ終わるかわかんない相手が誰かもわかんない戦いが今ここで起こってる。

ワタシもたまに疲れたり、嫌なことがあったときに、その戦いがあることに気づいちゃってつまずくことがある。

そしたら「あ、ヤバイ」と思って、とりあえず気を紛らわすことに逃げ込んでる。

そうやって戦いに真剣にならないで、テキトーにさぼって生きているのがワタシだけれど、

マジメに戦ってる人は、疲れ果てて死ぬんだ。

今、「日本は平和だね」なんてワタシの目の前で言う奴がいたら「ハァ?? 何言ってんの?」って思う。張り倒してやりたくなる。

やり場のないイライラ感が鎮まるまで、2、3日かかりました。

せめて同じ血を引く、やっぱりマジメなダンナさんが、あまり思いつめることのないように。

彼が生きている意味に、ワタシがなっていればいいんだけれど。