ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

映画「ウォルト・ディズニーの約束」を観ました。

アナと雪の女王は 家族は観たけど自分は観てないです。

ホビット 竜に奪われた王国」を観に行ったとき、アナ雪よりこちらの予告が気になって観ました。

予告編を見た限りでは、原作のイメージを改変されることを拒むP.L.トラヴァースと、何としてもメリー・ポピンズを映画化したいウォルト・ディズニーのガチンコ対決から、どうやって和解に至ったかというお話

・・・なのかなー、という印象だったのですが、観た後はまったく違う印象に変わっていました。

この映画の主題はそこじゃなかったなーと思います。いいんですよ。和解なんてしなくったって。

自らの幼少期を投影した、分身であり家族であり、また影でもあるような作品が、

他者の手で(その他者は作品をとても愛してる人物なのですが)映像化されるという受け入れがたい「事件」をきっかけに

老年にさしかかったトラヴァースは改めて少女時代と父親への想いを振り返ります。

(まったく文化の違うロサンゼルスへの旅も、昔を思い巡らすための舞台装置としてはたらきます)

トラヴァースの家族に起きた出来事は、とても重くショッキングでした。

まさかこんなに感情移入してしまう(どの人に、というのは伏せますが)なんて思わなかった。何度も涙が出ました。

でもこの出来事なくして、メリー・ポピンズは生まれなかったんだ。目をそらすわけにはいかないんだ。と受け止めました。

この映画、原題は「Saving Mr.BANKS」だそうで、メリー・ポピンズに登場する銀行勤めの父親「バンクス」氏を救う、という意味ですが

たぶん日本では「バンクスって誰?」という人がほとんどなので、よりキャッチーにウォルト・ディズニーの名を冠したのでしょうね。

ウォルトがトラヴァースの自宅に行って対話するシーンで。

単に トラヴァースがウォルトのしたことを許した・・・というんじゃなく、

トラヴァースがウォルトの心の中にも 彼にとっての「バンクス氏」がいることを知って。

それは現実には、もう失われた父親なんだけれど。

「彼を許して、自分も救われたいのだ。」「創作者は、許し許されたくて、なにかを作るのだ。」

という想いを共有できることに気づいて、やっと大切な作品を彼に託そうと思えたんじゃないかな。

名前といえば

スタッフに「ウォルト」と呼ばせたがるディズニーと、本名を隠して生きてきたトラヴァースと。

ふたりとも「名づけられた名」に対して「呼ばれたい名」があって、こだわってしまう。そこも似た者同士でした。

この映画は「ふたりの名前をめぐるミステリー」としても見ることができるんじゃないか、と思いました。

確実に大人向け、かつ「メリー・ポピンズ」の映画を観た人向け(おなじみの音楽もたくさん流れます)とは思います。

フィクションだけど、もともとオーストラリアで制作されたドキュメンタリー企画だったものを下敷きにしているため、トラヴァースとウォルト、それぞれの実在人物の生い立ちをたどりながら「その時、彼・彼女は本当にこう思ったのだろうなぁ」 と感じさせる、丁寧な心理描写・演技が、すごく良かったです。

以下箇条書き

・脇役の運転手・ラルフがかっこよかった。輝いてたー。

・ディズニーファンなら狂喜間違いなしの、ウォルトのおもてなしを蹴りまくるトラヴァースが痛快。

・シャーマン兄弟(のどちらだったか失念)に「疑問に思ってたんですが、専業主婦のバンクス夫人が乳母を雇う必要があるんですか?」と問われ「母親業はとても難しい。誰にでもできる仕事じゃないのよ!」と憤るトラヴァース(その言動にも後から判る理由がある)。50年経った日本ではいまだに言えない、その言葉。

・60年代西海岸の調子に乗ってるファッション&インテリアが好きなので目にも楽しい。

・ディズニー自身の伝記映画も観たくなった・・・トム・ハンクスでっ!