芝桜公園へ行く道。
大空町(旧女満別町・東藻琴村)の景色はホントにフォトジェニックで
(悪く言うとステレオタイプな)これぞ北海道という眺めがどこまでもどこまでも広がっている。メルヘンの丘とかね。
観光っぽい話はおいといて。
北海道の義実家に行ったメインの目的は、入院している義父の見舞いをして孫たち(特に初対面の娘)の元気な姿を見せることでした。
義父と他の患者さんたちが車椅子でラジオ体操する時間に立ち会い、その後 動かない手で懸命に娘を抱いてくれようとしたり、いないいないばぁをしてくれたりしたのが涙出そうになりました。話に聞いていたのは、もっと寝たきり状態だったので。
義母は感激して泣いていたし、夕食のときお義姉さんにその話をしたら「父さんそんなに動けたの! よっぽど嬉しかったんだね」って驚いてました。
ダンナさんから伝え聞く限り、家の中では(世代的にも気質的にも)昔かたぎで頑固で、ときには腕力にものをいわせる意地っ張りな人だったそうで
(ワタシは元気だった頃も、その優しくて気前のいい顔しか見たことがないのです。
義父は、そういう良い顔しか嫁や孫たちにはみせたがらなかったのだろうと思います)
ダンナさんが10代のころからずっと、他のきょうだいも少し距離を置いていたらしい・・・
でも倒れて動くことも話すこともできなくなって初めて、この家族は義父を囲んで素直な言葉をかけられるようになったのかな、って思いました。
ワタシはホントにたまにしか会わないので どうしてもちょっと引いた「他人の視線」で見てしまうけど・・・。
齢80近くなって病にたおれて 1年以上歩けなかったひとが、これから劇的に良くなるとは 正直に言えば誰も思ってはいないです。
だからといって、義父にかける「ずいぶんよくなったね」「元気になってね」「また来るからね」・・・ということばが決して心にもないことを言ってるわけじゃないのです。
そこが家族だけにしかわからない 複雑な むずかしい気持ち。
同じ病室同じフロア、どこを見ても自力では動けないお年寄りが管と機器につながれて横たわっていました。
それぞれ、ベッド脇のテレビを見ています(聴いているだけなのか 見えているのかわからないけど)。
テレビの中では おなじみのタレントたちがにぎやかにしゃべってました。まるで自分たちもいつか老いて病気になることなんか忘れているように。
土日の病院は私たち親戚のほかに話し声はなく、テレビの音だけがやけに大きく響いていました。
この、隔離され隠された(ぶっちゃけ)死に近い場所から、そんな場所があることを想像もしてない
「若くて元気なのが普通」という世界を テレビという窓を通してのぞき見て、そこでつながっているということが。なんだかすごく苦しくなりました。
こんな風景が、きっと日本中の病院にあるんだろうな。そして広がり増え続けている・・・。
そう遠くない先、ワタシの実の親もこのようになる。次はワタシのダンナさんがそうなり、ワタシ自身も老いを迎えるのだろうか。だれにでもその時はくる。忘れてたって、嫌がったって、くる。
想像したところで何をする、何ができるというわけでもないし、今はまだそんなこと考えずに目の前のものごとをこなしていくべき年頃のはずなのにね・・・。
特に結論もなく終わります。